小説好きですか?

11回目の推敲が終わりました。

わたしは小説、好きじゃありません。

ノンフィクションとかサイエンスとか専門書が好きです。

とはいえ、好きな小説もあります。

森博嗣「すべてがFになる」。

これはトリックがすごい。どうやって犯人と被害者を密室にいれ、犯人を外に出すかってところが、いろんなパターンを考えれば確かにこういうのあっていいよねって感じではあるけど、すごいです。

トリックからキャラ設定がかなり決まってしまう。そこからイメージがどんどん湧いてきたんじゃないかと思います。

出版順は1番だけど、執筆は4番目の作品。

1番にもってきて正解だったと思います。

いい曲をアタマにもってくるのはCDのアルバムでもよくやります。

それにシリーズ完結でも真賀田四季がでてくるから、すわりがいい。

京極夏彦姑獲鳥の夏」「魍魎の匣」「絡新婦の理」「嗤う伊右衛門

「姑獲鳥」はすこし文章にこなれてない感じがあります。

伊右衛門」は、伊右衛門が刀を抜くまでがすべて準備。刀を抜くシーンのためにすべてがある感じです。そして刀を抜くシーンが最高です。

トーリーは、恋愛小説。

島田荘司

御手洗シリーズあれこれ。「異邦の騎士」が一番。

「疾走する死者」のセッションシーンもよい。

「ハリウッド・サーティフィケイト」はレオナが主役の番外編だけど、面白いです。あまり評判を見かけないですけれど。

吉敷シリーズは道子がでてくる作品。

「龍臥邸」はどっちのシリーズかよくわからないけれど、面白いです。石岡君にはヤキモキさせられます。

 

ミステリばかりですね。

ほとんどの小説は読んでも面白くありません。

上にあげた作家の作品でもです。

ということは、自分の書いた小説が面白くなくても当り前です。

面白かったら、上にあげた小説並みにすごい作品だということになります。

面白い小説を書こうなどと気合を入れずに、思いついたネタを小説の形にして仕上げようというつもりで書いています。

 

あと少しかもしれません

10回目の推敲が終わりました。

修正箇所が減ってきた気がします。

あともう少しで推敲が終わる、といいのですけれど。

 

つぎに書く小説のことを考えはじめています。

「はーどロックミシン」が高校1年生の入学したばかりのときからストーリーがはじまるから、書きはじめるのにちょうどいいと思っていました。

とはいえ、文化祭で終わる話だから10月までの話も書かなくてはなりません。

ほぼ1ヶ月で書くことを考えると、いつ書きはじめても同じという結論に達しました。

それに、ミシンとか裁縫とかサッパリわからない状態で書きはじめるのは無謀な気がします。

そんなわけで、「ペンギン」の続編にしようという意見に傾いています。

意見は、わたししか出しませんけれど。

脳内会議というやつです。

続編は大きなイベントをふたつ考えてあって、どうだろう、終わりまで書けるのではないかなという感触です。

小さなエピソードもいくつか考えてあります。どこにおいて、どうやってつなげていくかは決まっていませんけれど。

トーリーの季節は、夏の終わりからです。

「ペンギン」の直後くらいです。

終わるのは、クリスマスあたりかなと、いまは思っています。

 

つけタイ、タイトル

8回目の推敲が終わったときに投稿するのを忘れてしまいました。

9回目の推敲が終わりました。

毎度のことですが、推敲はウンザリです。

はやく終わらせて賞に応募して楽になりたいものです。

 

名前をつけるのってむづかしいですね。

登場人物の名前、小説のタイトル、章のタイトル、ほかにも名前を付ける場面があります。

エピソードに名前がからむときは、ある程度限定されるからそれほどでもないですけれど、どんな名前でもいいけどひとつなにかひねり出さないといけないという場面がツライです。

ミラクルが起こることがあって、適当につけた名前があとでエピソードに使えるということがあります。

いま推敲している「ペンギン」の笹井さんという人がそうです。フルネームを適当につけていたらなんだかとっても都合よいことになりました。

ウサミミシリーズというのは、ウサミミというあだ名をもつ登場人物が出てくるのですけれど、ウサミミというあだ名から宇佐美彌那という名前をでっちあげました。

神社の娘なので、漢字もなんとなく神社っぽくてよいかと思って決めました。

一番大切でむづかしいのがタイトル名です。

森博嗣はタイトルが決まればストーリーができたようなものだと、なにかの本に書いていたと思います。

発想方法ですね、ストーリーからタイトルを考え、タイトルからストーリーを考える。

行ったり来たりして形にしてゆくのだと思います。

わたしの場合、「はーどロックミシン」だけタイトルを先に思いつきました。

あとはファイル名のためにつけた名前を何度もつけなおして、推敲が終わったときについている名前にしています。

あまりいいタイトルってついてないですね。

 

フリーダム!

推敲は7回目まで修了しました。

いつになったら終わるのやら。

もう4月になってしまいました。

来週中には推敲を終わらせて、賞に応募したいものです。

 

小説って自由でいいんじゃないかって話をひとつ。

よく、人物が書けてないという批評をする人がいるみたいです。

なんでしょうね、人物って。

人物が書けてない小説は、ダメだということなんでしょう。

人物を書くつもりで書けてなければ、その批評はあたっているわけですが。

小説って、自由なものだから人物なんて書かないという小説だってありです。

人物が書けている小説が好きだ、でもこの小説では人物が書いてないから嫌いだというだけのことですね。上のような批評をする人は。

あなたの好みなんて知りませんよと書く方は思います。

人物を書くってどういうことでしょうか。

たぶん登場人物が内心に思っていることを書いてあるってことだと思います。ちがうかもしれません。

わたしは、登場人物が感じたことを書いてある小説はつまらないと思います。

まず、読むのがメンドクサイです。

登場人物がどう感じたかは、読者が想像して楽しんだ方がよいと思います。

道を歩いていたら、目の前に死体が落ちていました。

そのときの登場人物の驚きやら、気持ち悪さやら、不憫に思う気持ちやらを読まされても面白いと思いません。

その登場人物がなにを見るか、どこをどういう順番でどのくらい詳しく見るかを書けば、登場人物が感じるものを、ある程度読者に感じてもらえるはずです。

そこに登場人物の性格やらなにやらが表現されます。

遠くから見て近づかない、ケータイをだして警察に通報するとか。

ずっと近づいていって、顔を確認、死んでいることを確認、死因の見当をつけ、まわりに不審人物がいないかを確認、そのあと警察に通報するとか。

そんな風にかなりちがった人間として書き分けられます。

あるいは、ここは死体が転がっていたことがわかればいい場面だからといって、目を道路の先に転じたら道の真ん中に人が死んでいた、だけで済ますのだってありです。

人間が書けてないといけないとか先入観をもたずに、自由に小説を読みたいものです。

 

ポケットをたたくと

6回目の推敲が終わりました。
時間がかかりました。
まだまだ重要な修正があるからです。
嫌になります。

今日は天気がよくありませんが、サクラが咲いてきました。
わたしの書くというか、書いた小説は春からはじまるものが多いです。
学園ものが多いからというのが主な要因ではありますが、
冷え性かつ乾燥肌のわたしには、冬は過ごしにくい季節であり、
冬が憎いからということもあるかもしれません。
ちなみに、春からはじまる小説は、
「彼女の秘密」がそうだし、「はーどロックミシン」がそうです。
梅雨あたりからはじまるのは、
「セピア色」、「ペンギン」があります。

ひとつ小説のネタが思いついて、エピソードを考え、ストーリーにしたて、書いて、推敲とやっているあいだに、似たような傾向の小説のネタがふたつみっつ思いつくものです。
思いついたものから書いていくと、似たタイプの小説がつづいて、やっぱり学園ものが増え、春からはじまりとなりやすいのでしょう。
かといって、思いついたものを放置しておいてあらためて別のタイプの小説をひねりだそうというのは、もったいない気がします。
思いついた小説はとりあえず書いておこうかと思うのが人情。
というわけで小説って、ひとつ書くとつぎつぎに書いていかないといけなくなります。
トーリーになるまで考え続けないといけないのが大変ですけれど。

 

5回目の推敲が終わっても

まだまだ小説の修正しています。

クオリティは確実にあがっているはずです。

書き終わった段階ではそれだけダメだったわけですが。

 

ウンチクについて。

トーリーに関わる部分は当然として、そうでない部分でも一般的でない知識を説明する場合があります。

やりすぎると読むのが面倒になって逆効果だし、説明なしで専門的な知識を書くと、知っている人は作者やるなと共感をもってもらえる効果もあります。説明なしの方がクールな印象にもなります。

わたしの場合どうしているかというと、コッテリめに説明をいれていると思います。

いまの「ペンギン」はペンギンの知識がウンチクです。

ペンギン飼ったことないし、本で読んで知っていることしか書けませんけれど。

あと、架空の国の話なので、国の仕組みなんかの話はいらなそうだけど書いてます。

ウンチクばかりだと読むのが嫌になるので、ストーリーとのバランスが大切ですよね。成功しているといいのですけれど。

イケナイ、イケナイ

もう何度も推敲しているのに、ポッカリ大きな穴を見つけてしまいました。

アブナイ、アブナイ。

なかなかデリケートな部分で、なにをどこまで書くか、むづかしいです。

慎重に考えながら、いま修正中です。

ということは、まだ推敲をしなくてはいけません。

 

参考になるかと思い、小説を読むようになりました。

小説を書くようになる前は、サイエンス関係の入門書とか、歴史っぽいのとか、面白そうな新書とかを読んでいました。

小説の中でも、海外のミステリを読もうと思っています。

いまはプロンジーニ&マルツバーグ「裁くのは誰か?」(創元推理文庫)です。

ほかにもいろいろと、とりあえず買うだけ買ってあります。

20冊くらいストックしてます。

バンバン読まないと、飽きてそのうち読まなくなりそうです。もったいない。

というわけで、バンバン読んでいきます。

CWAとか、MWAとかいう組織の賞があります。

しばらく読んで読みたいものがなくなったら、2010年以降の受賞作を読んでみるのもいいかなと思っています。

それとも、古い小説のほうが参考になるかな。