現代の小説

もう嫌になりますね、推敲。

いまだに、ここ文章を足した方がいいかななんていうところがあって、修正しています。

こちらのわかってほしいことが、読者に伝わろうと、そうでなかろうと、いいといえばいいんです。読者が好きなように読めば。さじ加減がむづかしいですね。

ここどうしてこういうセリフになったのかなと思う場合は、作者が意図したことが読み取れていないということになるわけですけれど、いまのその人には読み取れないことが書いてあるというだけです。現実世界でも他人のことなんてわからないのが普通ですし。

わたくし、主人公の心情みたいのはあまり書きこみたくないと思っています。

読むときもそういうのが書いてあって、くどくて嫌だなと思う作品があります。

心情は読者が自由に解釈したらいいんじゃないかと思うわけです。

 

思った方向に話がつながりませんでした。

この投稿で書きたいのは、専門用語とか、むづかしい話とかについてです。

森博嗣もなにかに書いていたと思うのですけれど、いまはウェブの時代です。わからない専門用語がでてきたら、検索すればいいのです。

わからない内容が書かれていたら、きっと誰かがブログなんかで解説してくれています。それを検索して読めばいいのです。

というわけで、主人公が理解できない内容なんかも、父親のセリフや、教師のセリフで話させたりしています。

主人公にまちがったことを考えさせたり、嘘をつかせたりもしています。

嘘だーと思ったら、調べればいいです。

わざとじゃなくて、本当に作者が間違って書いているかもしれないけれど、作品からはそのことわからないです。でも、作者は推敲で10回も20回も読み返しています。まず、わざとだと思っていいですね。

そんなわけですから、推敲たいへんです。