作者の意図なんて言うのは、古臭くっていけない

17回目の推敲が終わりました。

やっとここまできました。

ほぼ文章を直すだけでした。

ほぼというのは、「警察手帳」を読んでいて、副署長は記者対応をするものだという記述を見つけましたので、そのようにしました。

たいした修正ではありませんけれど。

ちょっと一文追加しただけです。

 

以前、作者の意図を小説から探ることの意味について書きました。

kyuno-kana.hatenablog.com文学理論に関する本を見つけたので読みはじめたのですけれど、昔は作者の考えが小説に反映しているものだということになっていたようです。

それで、作者の経歴とか、小説が書かれたときどういう状況でなにを考えていたかなんてことを探るのが批評だったということのようです。

1960年よりまえの話と書いてあったと思います。

モダンの時期です。いまはポスト・モダンの時期のようです。

つまり、時代遅れの勉強不足の人が作者の意図がわからないとかいう批評をしてしまうということです。

出版関係の人が批評を書いたのを見たのだと思うので、文学部で勉強した人だと思うのですけれど。

文学部では古い話しか勉強しなかったのでしょうか。

ちなみに、ポスト・モダンといわれる批評の方法論はつぎのようなものみたいです。

構造主義

ロシア・フォルマリズム

・神話批評・精神分析批評

マルクス主義批評

ポスト構造主義

フェミニズム批評

・新歴史主義

わたしは理系なので小説のことを知らないのですけれど、読者が自由に想像して読んでいいというのはポスト・モダンにはいる考えのようです。

ちなみに、構造主義というのはいろんな分野ではやった考え方で、数学でも20世紀のはじめころ構造主義がはやりました。

しかも成功しました。

群構造をもつ集合を群と言うみたいな。

ブルバキみたいな。