ミステリーの書き方:九乃編

わたしが言うのもアレですが

わたくし、小説を書いてはいますけれど、賞に応募しても落選してばかりです。二年間は小説を書いています。そのあいだに十作くらい応募したでしょう。そんなわたくしの「ミステリーの書き方」にどれほどの価値があるかわかりません。
 このエントリーは、ミステリーや小説を書きたいけれど書けていないという人向けのものだと思ってください。すでに小説を書いている人にはひとつも参考になることはないでしょう。

ミステリーにかぎらず

 わたくしは、アイデアが思いついたらそれを小説にするというやり方をとっています。ミステリーのアイデアはなかなか思いつきませんから、ミステリーにかぎらず小説を書きます。
 これから書くことはほとんどの小説の書き方に通じるはずです。ミステリーに特有なことは少しになるでしょう。

はじめから作曲の話

 小説を書くのは、ある面で作曲と似ていると感じます。いえ、作曲できませんよ?わたくしは。作曲ができないと小説も書けないのかなんて早とちりしないでください。
 作曲ができたらいいなと思ってチャレンジしたことがあるのですけれど、うまくいきません。また挑戦するかもしれませんけれど、いまのところ作曲能力ゼロです。
 作曲では、詞が先か、曲が先かとか、メロディーからか、リフからか、コードからか、リズムからかなど、曲作りにとりかかる方法がいろいろあります。このところが小説と似ていると思うのです。
 わたくしの場合、こんな小説という漠然としたイメージが思いつくことがあります。ひとつのシーンが思いつくことがあります。書き出しの文章が思いつくことがあります。そして珍しいことですけれど、トリックを思いつくことがあります。

ミステリーの場合

 ミステリーに固有の部分というと、ここだけかもしれません。つまり、どんな謎か、どんな事件か、どんなトリックか、どうやって解決するか。ミステリーの場合、これらの要素が具体的になれば、あとは普通の小説より書くのが簡単かもしれません。いろいろなことが波及的に決まってゆきますから。
 トリックを実現するには犯人はどういう人物でなければならないかとか、謎を謎たらしめるために要求される設定はこうだとか。
 謎、事件、トリックのアイデアがそろっていない段階のミステリーのネタは、ハードディスクにかなりの数眠っています。むづかしいですね、ミステリー。
 わたくしが試したことなのですけれど。気にいっているミステリーの核の部分を取り出します。核というのは、その部分からいろんなことが決まってしまうという核心のアイデアのことです。「すべてがFになる」でいうと、被害者と加害者を密室で一緒にするためのトリックのことです。
 核の部分をかえたらどうなるかと、いろいろ考えます。思考実験ですね。それがうまくゆくかもしれないと言いたいだけです。わたしの場合はイマイチでした。変更した部分以外のところが、元ネタをなぞったようになってしまいました。

 ほかにも既存の小説を利用して新しい小説を書く方法はありそうです。森博嗣「恋恋恋歩の演習」は、「偽のデュー警部」をそんな風に利用して書いた小説だと思います。
 既存の小説を利用する方法は、好きな曲のコード進行を使ってメロディを考える作曲法に似ているかなと思うのです。

作曲の話、ふたたび

 結局、どこからはじめてもいいわけです。ひとつの小説にはいろんな要素が必要になり、どこかの段階でそれぞれを考えなければならないからです。なにを思いついても、そこから小説を書くことができます。元ネタを使っても、十分に変形して自分のオリジナルの部分を加えればよい。
 作曲法と似ていると思うのはそういうことです。

はじめの一歩は踏み出している

 小説を書きたいと思っている人なら、いま挙げたような要素をいくつか思いついていることでしょう、それは小説を書く第一歩をすでに踏み出していることになります。人によっては、その第一歩が一番むづかしいと言ったりします。いくつも小説を書いてネタが尽きてきたような人かもしれませんけれど。あるいはネタの基準が厳しいとか。

小説はプログラミングのように書く

 第一歩を踏み出したら、二歩、三歩と歩みをつづけなければ、小説は完成しません。今度は、小説はコンピュータープログラムのように書けるという説です。わたくしの思いつきです。こんなことを言う人はほかにいないかもしれません。
 プログラムを書いたことがない人にはピンとこないでしょう。プログラムを作成するときは、まず要件定義という段階があります。つまり、どういう仕事をプログラムにさせたいか、きっちりかっちり決めるのです。要件定義という字面を見ただけでかっちり感が漂ってきますね。これから書く小説がどんな小説なのかを決めるわけです。漠然としたイメージだった思いつきを確固としたイメージにします。とりあえず漠然としたままでもいいのですけれど。ひと通り書き終わらないと、それがどんな小説なのかわからないということもありますからね。テーマと思ってよいと思います。
 要件定義のつぎは設計です。基本設計、詳細設計といったこまかいことは気にせず、設計と大きくとらえてしまいます。小説のはじまるキッカケの事件、盛り上がる事件、解決のための事件を具体的に決めます。このあたりの作業には小説の書き方の本が参考になるでしょう。いわゆる三幕構成によるプロットというものです。詳しくはちょっと違うかもしれませんけれど。
 わたくし、その手の本を読んでみました。とりあえず、初心者は本に従うのがよろしいでしょう。小説が本になるような身分になれば、基本を破ってもなにをしてもかまわないと思いますけれど。
 本を読んでも、小説を書く作業のほんの一部しか解決しません。小説を書くのはむづかしいものです。
 さて、設計段階が終わったとしましょう。設定、キャラ、ストーリーが決まったわけです。
 ここでまたプログラミングの話にもどります。設計ができたら、コーディングです。はじめに、ツカミの機能のある文章を書き、つづけて設計した機能をもつ文章を書いてゆけばいいわけです。プログラムを書くのと似ています。

 ここですね、このエントリーで一番言いたいのは。小説の文章は、プロットで決めた機能を実現するものなのです。言い切りました。

 ちょっとしたプログラムなら千行二千行とひとりで書くわけです。小説も十万文字や十二万文字を書くのだから、やっぱり同じようなものです。
 コーディングのあとは、テストとデバッグをします。小説でいったら推敲です。誤字脱字くらいならワープロの機能を使えば簡単にできるでしょうけれど、文章のクオリティをあげたり、書きぶりをかえたり、なんなら、アイデアを追加削除変更したり、シーンの順番を入れ替えたり、そんなことをします。テーマはなにかななんて考えて、テーマに沿って変更を加えたり。
 わたくしの場合、二十回くらい通して推敲をします。そんなことをしていると、小説をはじめから終わりまで書くのにかかった日数と同じか、それ以上の日数がかかります。テストとデバッグに似ていますね。

そうはいっても

 この文章を読んでいる人は、設計を終えて書き出しの文章が決まっていれば、もう書きだせますね。
 はい、もちろん設計を終えられないことが予想されます。わたくしもたいてい足りない要素を抱えて困っています。
 こんな事件が起きて、結果こうなると決まっていても、「こんな事件」が具体的になっていなければ書けません。思いつくことが大切です。つまり考えるのです。設定、キャラ、それまでのストーリーの流れ、事件のあとに控えているストーリー、いま思いついているものを総動員し、設定を足してみたらどうか、キャラの属性を足したらどうか、キャラに過去の出来事を追加したらどうか、思いつく限りのことを試します。たいていそれでも思いつきません。

見切り発車が大切、じゃないですかね

 では、どうするか。とりあえず書きはじめます。書きながら考え続けるのです。書くということは頭の中にイメージを作って、それを文章で表現するということです。
 設計段階で考えていたことと、実際に書くときにイメージすることは解像度がまったく違います。作者が小説の世界にはいって、登場人物の言動を見聞きするわけです。登場人物の頭の中にはいって考えを見透かすわけです。
 いままで思いつかなかったことを思いつくことが多々あります。書きはじめるまえに予定していた流れからそれてゆくことも自然に起こります。
 というわけで、設計が完璧にできるまで書きはじめないという手はよろしくない。すんなりできてしまえば楽なのだから、設計が完璧にできて悪いことはありませんけれど。
 わたくしの経験ですけれど、書き出しとエンディングは早い段階から思いつくものです。むづかしいのは途中の事件です、しかも複数必要。
 むづかしいのは途中ですから、書きはじめるハードルは高くありません。

こんなこともあります

 「女の子が宙に浮いちゃう小説」という、漠然とし過ぎる思いつきから書きはじめた小説があります。はじめの一行を書きだすときにも「女の子が宙に浮いちゃう小説」しか手持ちの駒がありません。でも、まあ、宙に浮くはじめから書きだせばいいんだろとタカをくくって、女の子がベッドから出るシーンから書きはじめました。
 当然起こるべきこと、書きながら思いついたことを書いてゆくと、すらすら書けました。幼馴染の男の子が登場し、女の子が中三であること、美術部であることも、書きながらその場で思いつきました。書きながら先のストーリーを考え、書くより先か、同時進行でアイデアが思いつきます。つまるところまで書こうと思って書きはじめたのですけれど、最後まで書けました。

小説の出来

 賞に応募して落選ばかりですから、小説のクオリティは低かったのでしょう。けれど、小説が書けない段階からは、かなり先へ進んでいると思います。

 小説が書けてしまえば、あとはよりよいアイデアが出てきたときに書きかえることは簡単でしょう。ひと通り書いた小説をたたき台にするのです。

 小説の出来は、その人の能力によるでしょう。書き方でどうにかなる部分ではありません。

 といいつつ、よい小説の書き方がわからずに本に頼ったら、三幕構成で書けと書いてありました。ですから、しばらくは三幕構成なんて意識しないで小説を書いていました。でも、長編小説には複数の事件が必要だということは気づいていましたから、それほど的外れでもなかったでしょう。

 休眠中に本を読んだから、これからです。構成を意識して書いてみようと思っています。

小説家の頭の中

 わたくしは落選ばかりのアマチュアですけれど、小説家だってたいしてかわらないのではないかと想像します。
 ひとつ小説を書くと、頭が勝手に小説のことを考えるようになります。小説を書きながら別の小説のアイデアが浮かんだり、小説のことを意識していないときにアイデアが浮かんだり、ということが起こります。アイデアがたまったら、また小説が書けます。

 アイデアが足りない部分は苦しみながら考えるしかないわけですけれど。何を書いていいかわからないという小説家希望の人は、なんのことをいっているんだろうと思うくらい、いろいろなアイデアが思いつくようになるでしょう。とにかくひとつ書いてみることです。短くて、つまらない小説。

 わたしが短くてつまらない小説を書いてみた経験から言うのですから、事実です。

森博嗣基準

 わたくしが小説を書いてみようと思ったきっかけは、森博嗣のエッセイ本です。パソコンさえあれば、エディタが使えて、文章が書ける。文章を書く能力は教育で鍛えられたはず。小説は誰にでも手軽に書ける時代だということでした。そのときはナルホドなと思ったわけですけれど、自分で書いてみようと思ってはいません。
 ある朝、目が覚めたときに小説が頭の中にあったのです。つまり、はじめから最後までのストーリーが思いついていて、文章を練っていました、頭の中で。眠りながら無意識にしていたことで、気づいたときには文章を練っている段階でした。もちろん先に書いた短くてつまらないものです。

誰にでも書けると言うなら、ネタが思いついたことだし書いてみるか、というわけで書きだしてみたら一万三千文字くらい、通常の十分の一です。
 書くだけなら簡単だなと思いました。さらに、同じようなことがもう一度あって、その短い小説には続編も思いついて、短い小説が五個くらいの短編集みたいになりました。短編集みたいなものを書いているあいだにほかの小説のアイデアも思いつき、上に書いた「小説家の頭の中」のようになりました。
 いまでも朝起きたときにアイデアが頭の中にあったり、眠っている途中で頭が小説のアイデアを思いついて興奮状態になり、フル回転でアイデアを発展させようとして眠れなくなったりすることがあります。フル回転のときは、文章にして書きださないと、アイデアが頭から離れてくれません。そういうときは何万文字も書くことになって何時間も寝られなかったりします。
 通常は、森博嗣を基準にしていて、一日六千文字くらい書くようにしています。一日で思いつくこととそれを書くスピードがちょうどいいような気がします。あまり多く書くと次になにを書こうかと考えないといけなくなり、時間ばかりすぎてしまいます。書くスピードを調節するのは、いいやり方みたいです。

この先

 小説が書けるということになれば、面白い小説を書いて、大勢に読んでもらったり、本にしてもらったりということが視野にはいってきます。本が売れてお金になればうれしい。いままで買った本の代金くらい取り返せたらなんて、ケチくさいことを考えてしまいます。いくらかってことは考えたくありません。かなりの額と思いましょう。

明るくはありません

 本が売れないそうです。小説だけ書いて生活するのはむづかしいと聞きます。でも、いま現在生活していて、小説も書いているわけです。現状維持していて、書いた小説がお金になれば、それは純粋にプラスです。

 小説家の人は、カネにならない、生活できない、小説家になんてならないほうがよいと言います。けれど、現状の生活を維持できれば、小説を書いてはいってくるカネが少なくたってたいした問題ではありませんね。当の本人が小説家をやめていないのですから、説得力がありませんし。
 お金を儲けたいと思ったら、ほかのことをやったほうがいいのはたしかでしょうけれど。具体的になにをしたらいいかはわかりません。いまどき、それほどよい金儲けの方法があるとは思えません。
 わたくしたちの希望は、小説を書くことであり、面白い小説が書きたいのであり、小説が書けたならお金に変えたいということですね。
 問題は生活を維持しながら小説を書きつづけることができるかということで、無理をして小説を書く行為は、よろしくない。一時的に無理をしても、長期的には、生活のリズムを考えて長く続けられるペースに落とす必要があります。書きつづければ慣れて無理をしなくても小説を書けるようになるでしょう。効率的に、一定のペースで小説を書く、そんな心掛けが大切ですね。

また寝ます

 九乃カナは休眠中です。今回のエントリーは、小説を書くのって作曲やプログラミングと似ているなと思い、そんなこと言う人はあまりいなさそうだったから書いてみました。

 まだ別プロジェクトにかかりきりですから、小説の再開はまだ先です。ふたたび休眠いたします。

 

 感想やアドバイスやなんやかやなんでも、コメント欄に書いてもらえるとうれしくなります。