九乃式発想法をお教えします

発想の時代

 二十年か三十年前までの時代は、経験を重んじる時代というか、社会でした。変化がゆるやかで、経験の蓄積が有効に働いていたのですね。のどかな時代でした。現在から比べるとということですけれど。変化は速度をあげてきましたから、当時は当時で変化が速いという共通認識をもっていたことでしょう。
 それでも、人が社会人になるまでに身につけたこと、若いうちに経験したことが引退するまでのあいだ有効であった。でも、今はそうはいかなくなった。そういう認識です。
 携帯電話が普及してきて、まだポケベルを使っている人がいたころ、iモードというのがありました。数年でiPhoneが出まわり、Androidが加わりました。スマートホンが普及するまであっという間でした。なんだか年寄りくさくなってしまいました。
 世の中ではいまだに経験を重視する時代遅れの人がいます。おじさんたちですね。そりゃそうです。経験の差が、彼等のアドバンテージなのですから。
 こんなバカな話があります。swiftというiPhoneアプリを開発するための言語が新しく発表され、iPhoneアプリの開発はswiftを使って効率的に進められるという話になった頃。Xcodeは評判がよろしくなかったのですね。swift業務経験二年以上の技術者を求める求人広告がありました。そんな人間は存在しないはずなのに。求人広告を出した企業のレベルが知れるというものです。
 それだけ、今でも経験第一のおバカさんがいるのですね。IT技術というのは、経験による知見をコンピュータで代替することがひとつの目的でもあるのに、そういう認識を見失ってしまったのでしょう。
 経験に代わるべき資産はなんでしょう。発想ですね。現在はとっくに発想の時代なのです。

発想って?

 発想、言葉をかえると思いつきです。思いつきには二種類あります。知っていることを思い浮かべることは、思い出すになりますが、思い出すだけで解決しないことの解決法がわかるとき、思いつくといいます。これがひとつ目。
 文庫本を読んでいて、カバーがずれたり、本から浮いたりして読みづらいことがあります。ガマンして読み続けることもできますけれど、カバーをはずすという解決法もあります。こんなことが思いつきの具体例です。
 ほかに、電子書籍にするという手もあります。この解決法は思いつきの二番目です。
 発想というのは、二番目の思いつきに用いる方がシックリきます。どういうことかというと、カバーの問題を読書という行為を変更して解決している点ですね。カバーから離れない解決法は思いつきではあっても発想というイメージではないということです。
 発想は、思いつきの中でも飛躍のある場合と言ってよいでしょう。問題の内側に解答をもとめず、外に向かってパッと飛び上がってつかむ感じ。
 辞書的には知りませんよ?わたくしの感覚はこうだというだけです。これから書く発想というのは、飛び上がってつかむ感じのものですよという宣言をしています。

問題をどうするか、それが問題

 文庫本のカバーの例を出しましたけれど、多くの発想というのは、問題があってその解決法を発想によって得るというような構造をしていません。そういう場合もあるのでしょうけれど。特に問題として意識していなかったことについて発想がやってきて、なるほど問題が解決するなという場合が多いと思うのです。解決法と問題がセットになってやってくるような、そんなイメージです。
 問題を意識していたら、発想ではなく思いつきになりがちということでしょう。直接的に問題を解決する方向に考えが向かうためですね。

準備は必要。バベルの塔を築け

 バベルの塔というと不吉ですけれど。
 発想は飛び上がってつかむものであると、書きました。高い土台から飛び上がれば、より高いものをつかめるというわけです。ニュートンはこれを巨人の肩と表現しました。ニュートンは飛び上がったとは言いませんけれど。
 土台というのはなんのことでしょう。目標とする発想の結果、その周辺知識や理解と考えるのが妥当ですね。わたくしが急に量子重力理論を思いつくなんてことはありません。そういうものは、量子論も相対論も、なんなら超弦理論やブレーン理論や一般人が名前も知らないような理論を理解し思考している人以外、思いつくものではありません。ニュートンの巨人には人種があるということでしょう。理論物理の巨人がいれば、ビジネスの巨人、ミステリーの巨人とか。
 生まれながらに巨人の肩にとまっている人はいません。みんな大変な思いをしてよじ登るのです。なにかを発想したいなら、いろんなことを知ったり理解したりする必要があります。発想したいことに関するものだから、この作業だってわりと楽しいのではないかと思います。わたくしは勉強、嫌いじゃありません。

自由な発想とは

 素人のほうが自由な発想ができる。そんな言説もあります。どういうことでしょうか。土台を使わず自分ひとりの跳躍力だけでなにかをつかむイメージかもしれません。
 では、なぜ専門家が思いつかないのでしょう。素人がつかんだものより高いところに、専門家が立っている土台が達しているということかもしれません。見逃してしまったのですね。でも、いいじゃないですか、そんなこと。つぎに専門家が高く飛び上がってなにごとかをつかめば済むことです。素人でいることが重要なのではありません。素人から専門家に到達する途中にも、価値あるものがあるかもしれないという教訓です。よく考えながら勉強しましょうということですね。
 勉強するとき、考えない場合が多いものですよね。すでに知られていることを自分も身につけなければいけない、考えている暇なんてないという状況です。よくないことです。それではテレビを見たりしているのとかわりません。
 テレビを見ている人は、流れてゆく映像をぼうっと眺めているだけで考えません。考えていたら、その間の映像を見逃すことになりますから。大人が子供に本を読めと言うのは、この点で妥当性があります。
 本を読みながら考えても、読み飛ばしてしまった箇所にすぐにもどれます。わたくしも、本を読んでいるつもりが考えごとをはじめてしまい、目で文字を追いつつ、考えつつ、でも気づいたら本の内容が頭にはいっていなかったということがよくあります。
 なにを考えるかというと、本の内容を現実の関連する問題や想定する問題に当てはめて考えるわけです。本を読んでなにか困難な問題が解決すれば楽なものですけれど、現実はそう単純ではありません。でも、ちょっとした思いつきがあったり、もうすこしこの方向で考えてみたいと思ったり、まったくの無駄ということもなかったりします。なにより、考えるネタになっています。なにを考えていいかわからないという人は本を読みながら考えたらいいでしょうね。考えることは頭を鍛えることです。

小説を読んでも小説は書けない

 ここで、小説を書くための発想について書いておきます。といっても、いつもながらですけれど、わたくしは小説に関してただの素人、説得力があるかどうかは、読んだ人に判断してもらいたいのです。
 はじめに、小説を読んでも小説は書けないと言っておきましょう。小説をネタにした小説が書けるといわれると、まあそうかもしれませんけれど、その一択ですね。ほかにネタをもとめようとしたら、どうしたって小説は役に立てません。小説は楽しみのために読むものと割り切りましょう。すくなくとも、新しいアイデアを得るために読むものではありません。
 ちなみに、わたくしは小説を書くようになるまで、ほとんど小説を読んだことがなかった。学校の授業なんかで読んだのと、学生時代にミステリーを少々ですね。ミステリーファンの子に勧められて。島田荘司京極夏彦は面白いものがありました。森博嗣は「すべてがFになる」が面白かったというか、すごいトリックだと感心したというか。ほかに面白いと思った小説はありません。小説が好きではないのですね。
 本は好きでよく読みます。ノンフィクションとか、サイエンスとかいうジャンルです。小説を書くのに必要なのはこっちでしょう。脳科学のこれをつかってひとつ書こうとか、ペンギンでシリーズをひとつとか、ネタになるのはノンフィクションです。
 小説を読んでいて、この小説がありならこんな小説もありだろうと思いつくこともあります。けれど、それを実現するにはノンフィクション系の思いつきと合わせる必要があります。小説から思いつくのは、犯人がこんな人物だったら、被害者がこんな風に殺されるとしたらといった感じのことです。
 小説の世界は現実の世界とほとんど同じです。なにか事件を起こすためには、原因や事件が起きる仕組みを現実に沿って考えなければいけません。
 たとえば、死体の右手が発見された場合。死体であることは、切り口の生活反応から判断する。爪のネイルから特定の人物の手首ではないかと推測する。特定の人物かどうか確認するには指紋鑑定やDNA鑑定が必要。時間と手間がかかる。外界から閉ざされた舞台であれば、手首にネイルを施すことでなりすましが可能とか。そんなネタを思いついたとき、ちょっとした法医学の知識と、これまたちょっとしたネイルについての知識が必要ですね。もしあとから死体の手にネイルをほどこしたとなると、犯人はネイルの技能があることになり、そうするとネイリストかそれに近い人が登場しなければならず、ネイル業界のことをすこしは描かないと説得力が出ないでしょう。ネイリストが出てくる小説を探して読んでもよいかもしれませんが、それでは既存の小説の焼き直しの描写しかできません。本や雑誌をチェックした方がよい小説に近づけることでしょう。
 ゲーム業界、アニメ業界でも同じことがいえます。ゲームばっかりやっていた人間に新しいゲームの発想をもとめても、既存のゲームの延長上のアイデアしか出てこないのではないか。アニメばっかり見ていた人間に面白いアニメはつくれそうにありません。
 ゲームやアニメばっかりで過ごしてきた人は、人間自体がつまらないでしょう。つまらない人間の創作はつまらなくなりそうだと容易に想像できます。同じです。小説ばかり読んでいたら面白い小説は書けません。

おすすめの方法

 発想したい分野の勉強をしたとして、どうやって新しいことを思いついたらよいのでしょう。
 よくあるのはブレインストーミング、略してブレストですね。思いつくことをどんどんあげる。すでに思いついたことからもさらに連想する。そんな方法です。
 わたくしは、小説のネタをファイルにしてためています。ショボいネタは二行とか、ごく短いものです。ネタが発展したら追記します。たまに見返して新しく思いつくことがないか試します。ひとりブレストですね、これ。
 もうひとつ。歩きます。ポイントは、歩き慣れたところを歩くということです。景色は観ません。すこしまえの道路を見ている感じだけれど、意識はそこにはありません。ほとんど自動的に足が動いて、気がついたら目的地についていたという歩行です。歩くと脳が活性化するんですね。それで歩いているうちに考えはじめ、ぐちゃぐちゃと考えているうちに良いアイデアが浮かびます。数学の問題を考えているときは、この方法が一番です。
 ふたつの方法とも、考えているうちに新しいアイデアを思いつく、連想というやつです。つぎは、連想ではない発想について。

退屈すると脳は爆発する

 発想するための、最終兵器的方法があります。脳への刺激を止めるという方法です。小説を読むのをやめる。運動、映画、ドラマ、動画、音楽、ゲーム、友達とおしゃべり、ツイッター、ライン、全部をやめるのです。
 そんなことしたら退屈で死にそうですか?人間は死にそうなとき、生き残ろうとするものです。生物の本能ですね。
 考えるべきことを用意しておいて、そのことについて考えてしまっては、すべてが無駄になります。だって、退屈しないじゃないですか、考え事をしていたら。なにも考えないのです。死ぬほどの退屈を作りだすのです。
 楽な姿勢になって、目を閉じ、何も聞こえない状態にして、何も考えない、何も意識しないように努めます。むづかしいですけれど。呼吸を意識的にしたら近い状態になれます。
 無意識で考えます。無意識はコントロールできませんから、意識としては何も考えないということになります。それが条件。
 注意が必要なのは、眠い時にこの方法を行うと眠ってしまうだけということです。睡眠を十分にとり、スッキリした頭で行いましょう。
 脳は刺激がなくなると、勝手に考えはじめると述べました。よさそうなアイデアが生まれるまで刺激をシャットアウトし続ければよいのです。爆発的にいろんな考えが生まれてくることでしょう。大丈夫、物理的に脳が爆発することはありません。精神のバランスを崩す前にやめた方がよいとは思いますけれど。
 これは、連想やなんかとはちがいます。つまり、なにかに関係することを思いつきたい場合の方法ではありません。なにもないところにぽかっと浮いてくる突飛なアイデアがほしいときに、ゼロをイチにしたいときに、この方法を行ってください。きっとお役に立てるでしょう。