経営学的、小説家という商売の考え方、勢いあまって未来の小説の考え方

シリーズ化していた?

 いくつか経営学的と銘打ってブログを書いてきました。今回は、みなさんお待ちかね、小説家について考えてみましょう。ご一緒に、考えてみましょう。

素人のくせに

 九乃は、賞に応募していますけれど、落選ばかりの素人です。ツマラナイ小説ばかり書いているのでしょうね。小説の素人が小説家の商売について語るのはおこがましいと思うかもしれません。
 関係ありません。経営学的に考えるという趣旨ですから、大事なのは、知識であり、思考であり、応用力であるからです。大船に乗ったつもりで、古くさっ、どーんと九乃にまかせてください。そうでもないか。

具体と抽象

 毎回書いておりますけれど、抽象的な経営学という理論を、具体的な小説家の商売に適用します。
 具体は解像度が高く、抽象は解像度が低い。そんなイメージ。具体は、女優の肌の毛穴まで見えます。でも、毛穴が見えるほど近づいていては、女優の顔全体や、スタイルを認識できません。ぐぅーっと離れて、毛穴は見えない、解像度は下がるけれど、女優の顔や姿を鑑賞できる。そういうものですよね、抽象。
 毛穴である小説家の仕事が、女優の顔や姿について語られている経営学のどのあたりに対応するのか、そんなことを意識しながら書いてゆくつもりです。
 余計わからなくなったって?知りませんよ、そんなこと。

すでに書いた、復習

 小説家という商売について、ブログのほかのエントリーに少し書きました。
 小説家の商売というのは、出版社から注文がきて小説を書く、受注生産という方式、特に特注生産という方式でした。

 特注生産というのは、注文がくる都度、開発設計をあたらしくやり直すのでした。毎回ちがう作品を書くということです。使いまわしが利きません。新作書けっていわれますね、前回の原稿を使いまわそうとしたら。

上流工程、下流工程

 本づくりは、出版社の注文からはじまるのですけれど、具体的に動き出すのは小説家です。それに、カバーをデザインする人たちです。本文レイアウトという人もいるのですよね、よく知りませんけれど。このあたり、本の開発設計の仕事をしていることになります。
 設計が完成すれば、製造に移れます。印刷会社が印刷、製本するのかな。
 取次に納品すれば、出版社の手から離れることになるのでしょうか。書店で売るのは再販といって、もう一度売る。ということですから、出版社はすくなくとも書店に売っています。
 そのタイミングは書店で本が売れたタイミングか、書店が本を買い取ったタイミングなのでしょうね。返品が効く契約になっているようです。詳しく知りません。

 どこぞの書店は返品しないで買い取るとか、どこぞの出版社は返品させずに買い取りをさせるとか、いろいろ事情があるようです。
 ざっくり考えましょう、小説家が本文を書き、印刷会社が印刷し、取次が流通させて、書店が販売します。この流れのはじめの方が上流工程で、終わりの方が下流工程といいます。

小説家は上流工程

 いま書いたばかりですから、わざわざ節を切って述べるまでもないのですけれど。小説家というのは、最上流工程にいます。おぼえておきましょう。

バリューチェーン

 経営学では、製品にかかわる上流から下流まで全体をひっくるめてひとつと考えてみようという、バリューチェーンなんて考え方があります。
 コストを安く、価値あるものを作って、高く売り、利益を出す目的でそんなことを考えるのです。全体最適化ってやつです。みんなで協力して、みんなでもうけましょうですね。
 一箇所が余分にもうけようとすれば、コストがそこだけふくらみます。そうすると、全体としてはほかの部分の人の迷惑になります。価値が同じなのに、価格が高くなって、売れる数が減る、利益が減る。もうけようとしても、じつは損。そんなことです。全体最適化。
 出版業界で考えると、小説家から書店までをひっくるめて、ひとつのバリューチェーンです。

 小説家の取り分は10%と相場が決まっているみたいです。つまり、本の価格は決まっています。どういう要因で決まるのか知りませんけれど、ページ数とかですかね。バリューチェーンの考え方、コストを減らそうという意識はありません。

出版社の責任

 出版社がマーケターであり、小説家に注文を出すところから、取次に納品するまで全部の工程に関わり、マネージメントするのがよいと、現在の経営学を適用するとそう考えられます。バリューチェーン全体の最適化を行う責任を負います。
 価値のある商品を、低価格で、便利に手に入れられるようにする。本の場合、ちっともできていないように見えます。出版業を衰退に追い込んだ原因のひとつだというべきです。
 新書の小説とか、海外のペーパーバックとくらべたら、質が高すぎに思えますね、紙質。いえ、いいんですけれど。

小説家の役割

 で、バリューチェーンですよ。どう関係するのってことですね、小説家に。現状、みんなの利益は小説家次第ってことです。
 本を印刷して、取次に渡して、書店で売る。これ固定なんですよね。なんの工夫もありません。出版社のせいか取次のせいか知りませんけれど。本の物としての価値は同じなんです。
 あとはコンテンツですから、小説家が質の高い、つまり価値のあるコンテンツを作るしか、全体をよくする方法がない状態です。みんな小説家におんぶに抱っこなのです。
 ええ、現状ですよ?これからのことはまだ考えていません。このあとの話です。

認識は判断の土台

 出版社は衰退産業であり、印刷部数が減って、これからは出版点数も減ってゆく、出版社も減ってゆく。そんな予測をブログの別のエントリーで書きました。わたくし九乃の考えでしかなく、別のストーリーになるかもしれません。九乃が経営学的に考えるとこうなりそうって話でした。
 そういう認識であることにします。認識を土台して、さらに考えるわけです。最終的には、それぞれが個人的な判断をするのですね。

出版点数が減るということ

 出版点数が減ったら、小説家の仕事が減ります。出版業界が衰退産業であるのですけれど、小説家業界も同じく衰退産業であると言わざるを得ません。出版社がマーケットですね、小説家の場合。
 小説家は個人事業主です。直接のお客さんは出版社なのでした。

準備は整いました

 関係者を全員集めてください。ここからは、先のことを考えましょう。

衰退産業の戦略

 出版業について別のエントリーで書きました。衰退産業での企業の戦略は、撤退戦略と収穫戦略でした。
 小説家にとって撤退戦略というのは、小説家の商売をやめて別のことをはじめる。すでに掛け持ち状態なら、別の商売に専念するということです。シンプル。
 小説家をやめづらいというのは、撤退障壁があるということです。どんなことでしょう。知りません。
 収穫戦略は?小説家をつづけますけれど、利益を確保するにはコストを最小限に、できるだけ高価格で、少ない販売数で利益をださなければならない、と考えられます。小説家にとって、コストってなんでしょうね。時間?でも、速く書いたからって、多く書く仕事はないのです。
 競争相手がすくない予定ですから、現状維持と考えてもよいのですけれど、速く書く意味はありません。仕事が書くスピードと同じくらいやってくれば、速く書くことが競争力強化になるのですけれどね。
 少ない仕事をのんびりやるという未来が見えます。その分、内容がもとめられます。

小説家に残された、別の手

 小説家は、出版社からの注文で受注生産をするという現状を保ったまま、将来を予測しました。小説家にとってはロクでもない未来でしたね。
 経営学では、ひとつの取引先にしぼって商売することは不利であると考えます。ポーターのファイブフォース理論です。たいした話ではありませんので、無視していいです、ファイブフォースは。
 取引先を複数にする。取引量もひとつに依存しない。競争力に大切なことです。
 さらに、直販です。

本の直販

 経営学では直販が競争力を高めると考えます。大口の取引先に頼らなくても、自分たちで売ってやっていく道があるのですからね。
 小説家が自分で本を売るってことですね。少部数印刷しても安い時代です。ネット通販が利用できます。
 ひとりでやるのは厳しいかもしれません。小説家が何人か集まって共同事務所でも作れば、サイトを運営したり、印刷の依頼をしたり、配送手続きをしたり、なんやかのコストを削減できるでしょう。事務所で編集者を雇ってもいいじゃないですか。

 出版社がいらなくなりますね、小説家の立場が強くなり交渉力が増します。これが競争力強いってことです。この場合、お客さんである出版社が競争相手です。ファイブフォース。

本という形にこだわらない

 小説家ですから、本という形にこだわる意味はありません。電子書籍なら、自分で通販しなくても、アマゾンのキンドルで出版できますね。九乃はアマゾンのまわしものではありません。お客さんではありますけれど。
 コンテンツですね。小説家はコンテンツを作るのです、上流工程でした。小説家がいないとはじまらないのです、本をつくる工程というのは。現代では、小説家さえいれば、本は作れるのでした。

そのとき、出版社は

 出版社は将来的にはキュレーション・メディアになるかもしれません。よい小説をさがしてきて、消費者に紹介する。そういう仕事。

小説そのものについても考える

 九乃は思考マシーンのようなものですから、さらに考えます。小説というコンテンツ、スマホに特化すべきではないですか?
 スマホで小説よむというと、キンドルアプリですか、カクヨムのような投稿サイトアプリですか。あれって、紙の小説とかわらないですよね。
 なにを想定しているかというと、ノベルゲームです。チャットノベルです。

ノベルゲーム、チャットノベル

 本命ではありません、どちらも。

 ノベルゲームというのはゲームです。ぶつ切りの文章がタップのたびにあらわれて、絵がかわったりするのですね。ストーリーが分岐するんですかね。
 チャットノベルはラインのメッセージのやり取りを見る感じですね。
 どっちも小説を読む体験としては貧弱と言わざるを得ません。クッソつまんないですね。失礼、下品でした。
 小説を読む人は、ストーリーを選択したいわけではありません。シーケンシャルに読んで、ストーリーに没入したいのです。たぶんね。九乃は小説をほとんど読みませんから、自信はありません。
 チャットなんて、中身の濃いストーリーを展開するのに向くわけがありません。ちょっと目新しいだけですね、ラインが。目新しさをお裾分けしてもらっているにすぎません。

どんな?

 眠くなって、言葉が汚くなってきたようです。そろそろ深夜二時、終わりにしないといけません。
 スマホに最適化した小説の話でしたっけ。中間ですよね。なにごとも中間、いいとこどりが最強です。
 わかりません?カクヨムアプリは本とかわらない読書体験、ノベルゲームはストーリー分岐のために犠牲にしているものがある。そう言ったつもりです。
 文章はシーケンシャルで小説を読むのと変わらない、でも、なにか仕掛けがされている。そういう小説というか、アプリというか、中間的なものです、九乃が提案しているものは。
 抽象的ですか?予測があたりやすいですよね、抽象的な方が。具体的にしたら、あたりづらくなる。

具体的提案

 背景があって、それがスクロールにしたがって変化するとか。今どきのウェブサイトでそんな感じのありますね。嫌いですけれど。
 人がナイフで刺されるシーンを読んだら、画面からナイフが突き出てくるとか。画面から突き出るって、スマホから突き出ませんよ?そんなことできるわけがない。文章を表示する白いレイヤーが三次元にあるとして、レイヤーをナイフが貫くって感じです。それを正面からスマホで見ている。

小説を読まなくなった人たち

 いま提案したスマホのアプリみたいの、小説つくるよりコストがかかりますね。でもですよ?小説を読まなくなった人ってなにしてるんですか?スマホでメッセージやり取りしたり、なにか検索したり、記事を読んだり、ゲームしたりしているんですよね。たぶん。
 スマホばっかりいぢっているのです。スマホで小説読んでもらうしかないじゃないですか。スマホで読むなら、本の小説と同じである必要はないというか、同じじゃダメですよね。本の小説を拒否した人たちにアピールするなら。だから、変えなくちゃいけない。どう変えるかはアイデア勝負です。で、九乃の桃色の脳細胞、アホそうですけど桃色、で思いつくのが、アプリと小説の中間という、さっきの話でした。
 コストがかかるのは、ゲームと同じです。ゲーム開発に近づかざるを得ません。九乃が提案するものの場合ですよ?もっとちがうものがあらわれるかもしれません。考えてください。小説の未来があなたの双肩にかかっています!

だれが?

 さて、小説家はコンテンツを作ります。九乃の提案した中間のなにか、これはコンテンツをのせるメディアです。小説家の守備範囲を越えます。ゲーム開発に近いと述べました。
 スマホのメディアというかアプリですから、そういうところに頼むことになるでしょう。九乃は自分でやってみようとたくらんでおるわけですけれど。プログラマーという設定を九乃に加えるだけでよいのですから、簡単です。いま経営コンサルタントという設定を加えてこんな文章を書いているのと同じです。
 もしかしたら出版社がコーディネートするかもしれませんね、中間のなにかが成功して商売になるとわかれば。

結局

 小説を書いているけれどカネにならない九乃が、カネをかせいでいる小説家の商売を心配するなんて、女神です。
 でも、出版社がからまないとなれば、もう同じ立場ですよ。
 いや、ぜんぜんちがいますね。出版社から本出してます、プロですというのはブランドですからね。ブランド力がちがいます。別の方法でブランドを高めなければならないですね、小説家ではない、素人は。