九乃カナが独自の世界観をもっているということについて

 今年カクヨムに小説を投稿するようになってはや4ヶ月、九乃カナは独特だと言われることがありました。自分では小説のネタがそういうものを要求するからで、別のネタたとえば長編を読んでもらったらまた違ったことをいわれるだろうと思っていました。

 カクヨムに小説を投稿するようになったキッカケは一田和樹さんの自主企画で、小説をレビューしてもらえるということに魅力を感じたからでした。それまでは、カクヨムにアカウントを作ったものの投稿はせず、閉鎖的な感じがあって別の小説投稿サイトにしようかと考えていたのでした。

 1月のことですね。ひと月でいくつも短編を書き、レビューをしてもらって、一田和樹さんとはもうお知り合いみたいなものだと思っていました。「投稿戦線異状なし」の連載の中で相談募集に応募しましたし。ツイキャスの視聴をしたら三十分間独占状態で声とテキストのおしゃべりもしましたし。

 ツイキャスで一田和樹さんに言われたことですけれど。九乃の作った世界を読者は外から眺めている感じだということだったのです。これは驚きでした。読者が視点人物になっているつもりで小説を書いていたのに、読む側はそうではなかったなんて。ひとりの言うことだけであまり鵜呑みにするつもりはなかったのですけれど、どうも九乃は独特だと言う人が幾人もいるらしいとわかってきました。

 うむ、これは謎である。わたくしへの挑戦だと受け取りました。九乃の小説はなぜ読者がはいりこまないのか、なぜ独特なのか。
 読者がはいりこむにはキャラに共感できる部分がないといけません。ははあ、これか。早くも答えに行きついてしまいました。ミステリーになりません。
 わたくし、キャラの外見をほぼ描写しません。メンドクサイというのもあるし、想像してもらいたいということもあるし、自分が読まされるとどうでもええわ!と思ってしまうというのもある。それから、心理描写というのもしません。人間に心理なんてあるの?と問いたい。これまた、メンドクサくて、読者がこの状況で感じるままをキャラも感じるはずだし、自分がそんなもの読みたくない。
 九乃が書くのは思考ですね、あとツッコミ。内心でボケても通じませんから、ボケはセリフで書きます。

 このあたりが原因で読者はキャラにはいりこまないのでしょう。仕方ない。キャラにはいりこまなくてケッコウ。
 多くの小説は、日本の小説は、人物描写やら心理描写なるものが大好きというか、そのために小説があるようなところがありますね。わたくしはどうでもええわ!なのですけれど。だから、小説が好きでないのでしょう。わたくしが書くのはストーリーであり、思考、体の反応、感覚です。今後も人物描写やら心理描写はしません。まる。