九乃カナの読み方書き方

 カクヨムにて小説を投稿して公開しています。わたくしの小説ちょっとヘンだぞというのは、以前「九乃カナが独自の世界観をもっているということについて」という記事にしました。

 徐々にわかってきたことなのですけれど、わたくしの書いた小説だけではないようなのです、ヘンなのは。小説の読み方、書き方もほかの人とちがうみたいだぞと気づきましたから、ブログに書いてみます。

九乃カナの読み方

 カクヨムというのは、ウェブサービスです。わたくしはPCでアクセスし、横書きで読んでいます。書くときはエディターで横書きですから、あまり違和感はありません。

 ほかの人の小説を読むとき。どちらかというと、完結済みの小説のほうが、連載中の小説よりよいと思います。客観的な評価ではなく、好みの問題ですね。

 いつになったら完結するのかわからない、どのくらいの長さになるのかもわからない、そういうものより、何話で完結して全部で何文字かわかっていたほうがとっかかりやすいのです。わたくしにとっては。自分のペースでよめるし、最後まで読めばすっきりしますしね。

 連載中とか、連載はじまったばかり、新しい話が投稿されるたびにちょこちょこ読んだ方がよいという人がいるとわかりました。そういう人からアドバイスをもらいましたから、「わたしたち、呪われたパーティー」は1話づつ投稿してみました。そうなんだあと感心しました。世の中はいろんな人がいるものだと。いえ、わたくしが変わっているだけかもしれません。小説には、あらすじの欄に何話で完結するか何文字か記載しました。

 本文をどう読むかですけれど。一文字も飛ばさずに読みます。頭の中に絵を思い浮かべながら読みます。

 ウェブ小説の書き方なのでしょうかね、シーンを書くというより要約みたいに説明する文で書いてある場合もあります。そういうときは白い画面が頭の中にあって、本文を読み上げる自分の声だけが流れてゆきます。映画なんかでも、シーンのつなぎに画面とは関係なく音声で説明がはいることがありますけれど、あんな感じです。

 お知り合いがいっぱいいて、読みたい小説がいっぱいある人は、ツマラナイ小説を一文字も飛ばさずに読んでいる場合ではありません。わたくしは、全部読むのですけれど。そのせいで積読な小説がたまっていますけれど。

 すでに読み切れない状態ですから、自分から新しい人を見つけに行ってフォローしてという活動はしていません。フォローしてくれたらフォローしますし、読んでくれたらとりあえず1作小説をフォローして積読に加えます。

 1話完結の小説は気が向いたときに順番関係なく読んで消化します。

 問題は長編ですよね。なかなか手をつけられません。17作くらいは読みかけだったり、連載中で最新話まで読んでいたりします。20作くらいはフォローしたままです。読むつもりではいますけれどね、全部。

 小説はカクヨムだけではありません。本で売っている小説も、どんなかなと思って読みます。自分が書きはじめるまではほとんど小説を読まなかったのですけれど。

 本は小説だけではありません。わたくしの場合、本といったら科学関係とか、軽い新書とか、そんなのがメインです。こちらは最近読んでいません。楽しみが遠のいています。

九乃カナの書き方

 小説のアイデアとかの話は書いたことがありますから、文章の話をします。

 読むときは絵を思い描いているわけですけれど、書くときは逆ですね、頭に思い描いた絵を文章にします。

 読む人にも頭の中に絵を生じさせたいという文章ですから、さくさく読める文章にはなりません。

 ブログで公開していて、カクヨムに転載した「いちごショート、倒れる」。あれの第1話が典型です。あれは頭の中で超スローモーションの映像を思い描いておいて、それを表現しています。伝わらない人が多かったかもしれませんけれど。

 技術が拙かったのか、読む人がわたしとちがう読み方だからなのかはわかりませんけれど、失敗していたようです。さくさく読めない、読みづらいという感想がありましたけれど、さもありなんというわけです。

  カクヨムで失敗したからといってなんということもありません。読まされた方は損した気分でしょうけれど。

 わたくしの文章、ブラウザで表示しただけで違うなとわかります。改行が少ないし、1行空きを場面展開でしか使いません。ウェブ小説では、見た目をすっきりさせるために改行、1行空きを利用しますね。そういう小説を読んでいますから知っています。やらないだけです。

 わたくしエディターで小説を書きますから、1行空きを多用するとスカスカで読みにくくなります。書く気が失せます、きっと。

 それに、わたくしはウェブ小説を書きたいわけではありません。カクヨムに投稿しているじゃないかといわれると、まあその通りなのですけれど。アイデアを吐き出すために利用しています。在庫整理的な。

 小説へのアクセスが多いに越したことはないのですけれど、お知り合いの人が読んでコメントとかレビューとかくれれば、PVは気になりません。だいたい30くらいは行きますから、投稿すれば30名くらいの人が読んでくれるのかなと期待はします。

 第1話だけPVが多くて、第2話からまったく読まれないとなると、つまらなかったかなと思ったりしますけれど、自分で面白いという自信があって投稿しているわけではありませんから、つまらないと評価しても気に病みません。失敗したかと思うだけです。また違う試みをしようと思うだけです。

 では、ウェブ小説ではない、なにを書きたいのかというと、本になってお金になる小説を書きたいのです。とりあえず、長編を書いて賞に応募するということです。それで、長編はカクヨムに投稿しないで手元にとってあるわけです。

 短い短編は応募する賞がありませんし、受賞しても本にならないでしょうから、カクヨムに投稿しているのです。ふざけたものも書いて、お知り合いの方たちに面白がってもらって満足、みたいな。

 ちょっとした実験とか、練習とか、そういうつもりで書くこともあります。「私たち、呪われたパーティー」は、長編を書くための準備として書きました。頭の中にある世界設定を具体化してみたかったのです。短編を参考に長編を書けそうじゃないですか。

だから何だということなのですけれど

 小説家が小説を売ることを考えると、固定の読者をつかまえることが重要になります。現在は、誰が買ってくれるかわからない小説を本にして売れる時代ではありません。

 ある特定の趣味をもった人に、作者のブランドで小説を売るのです。

 小説というのは作者のブランドで売るものだというのは理解しやすいですよね。講談社から出しているから買うという風には、消費者は考えません。出版社がどこであろうと関係ありませんね、村上春樹の本だから買うのです。

 作者のブランディングということになると、この作者の小説ならこういう効用があると消費者の意識に植えつけないといけません。つまり強烈な個性を込めた小説ならそれがよい。この人の小説ならこういう文章だなとか、ストーリー展開で驚かせてくれるなとか、いいキャラ造形するんだよねとか、そういうものです。

 それでですよ、わたくしは小説を本にして売りたいわけですから、本にしてもらえるようになったときのことを考えて小説を書きます。ブランディング戦略ですね。

 文章でも、ストーリー展開でも、オチでも、九乃っぽいというものを構築して、読む人に広げてゆく、根付かせてゆく。その実践です。

 多くの人に受け入れられるとか、さくさく読めるとかいうものはいりません。そんなものはどこにでもあって、誰も手に取らないでしょう。そんなことないか。わたくしの考える戦略に反するだけです。

 わかりにくくても、読みづらくても、九乃の文章を気に入って読みたいと思ってくれる人を探して、そういう人をふんづかまえて離さない。そういうことをわたくしは目指します。