小説を書いてみて気づくこと

12回目の推敲を終えました。

明日で推敲を完了していいのでしょうか。

まだ不安です。

 

「いいね」

 佐藤は同意した。

 小説の中で、よくこんな文章がありますよね。

わかりやすくデフォルメしてあるわけですけれど。

これ、セリフの意味ありますかね。

地の文でセリフの説明というのは、ダブってますよね。くどい。

「いいね」

 佐藤はサムアップして見せた。

これならセリフも地の文も意味あると思います。

あるいは、もう佐藤がしゃべっているとわかれば、「佐藤は」もいらないと思うのです。

セリフのあとに地の文で説明を加えるのは無駄だと思った。

 こんな風に、「思った」という文章もよくあります。

セリフのあとに地の文で説明なんていらないだろ。

これでいいんじゃないかと思うのです。

地の文で主人公の心の声を書けばいい。

その方が読んでいる人も主人公に感情移入しやすいですよね。

こんなことに、小説を書くようになって気づきました。

ただ読んでいるだけでは気づかなかったかもしれません。

小説をほとんど読まないので気づかなかっただけかもしれませんけれど。

好みの問題なのでしょうか、ダメな例のような文章が巷にあふれているということは。