過去はふりかえらず

16回目の推敲を終えました。

賞の応募券付の雑誌を入手しました。

懸賞じゃないんだからと苦い思いをしつつ。

月曜日までに応募すればいいと気が大きくなってしまったので、まだ推敲しています。

ウェブで応募ができたら、本を読みつつ次の小説のアイデアを練ろうと思います。

9月から書きはじめるつもりで。

森博嗣にならって、タイトルを先につけたくて考えているのですけれど、むづかしいものです。

まえ半分だけ思いついたという感触です。うしろ半分になにをつけようか。

英語のタイトルをカタカナで、くずした読みでと考えています。

スカイ・クロラ」みたいな。

 

小説の地の文というのは、過去形で書くことが多いようですね。

なぜでしょう。

「た」で終わる文章ばかりになりそうですけれど。

小説の文章というのは、カメラワークを兼ねていますよね。

エレベータのドアが開くと、中にスーツの男がのっていて、こちらに歩いてくると思ったら、おれの目の前で立ち止まった。

こんな文章、いまアドリブで書いたのですけれど、カメラワークとしては、

・エレベータ開く、中が見えてスーツの男がいる、歩いてきて目の前で止まる。

というのをひとつのロングショットで撮ったように頭の中でイメージします。

エレベータのドアが開く。乗っていたのはスーツの男だ。こちらに歩いてくる。もう、おれの目の前だ。

この文章のカメラワークは、

・エレベータ開く

・スーツの男

・歩き出す足

・おれの肩越しにスーツの男

こんな細切れのシーンをそれぞれクローズショットで撮ったようにイメージします。

そうではない人もいるでしょうけれど。

わたしと同じようにイメージする人もいるはずです。

これ、短い文章だからシーンが細切れになって、カメラが対象にちかいように感じるわけです。

この短い文章をすべて過去形で書いたら、「た」で終わる文章が4個になって単調でつまらないというか、子供の文章になってしまいます。

それで、わたしは短い文章で現在形で書くことが多いのです。

カメラがちかいほうが、小説にはいりこめますよね。

わたしが書くように小説を書いている人を知らないので、読みづらいのかもしれません。

でも、これから小説を本にしてもらっておカネにかえたいと思っているので、他人と同じことをしていたら埋もれてしまいます。

マイナスの効果でも、他人とちがうことをする方を選びます。