(ブログ連載小説) いちごショート、倒れる #1

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 1.事件が発生して唐突に物語ははじまるもののようです

  テーブルまであと一歩というところで、わたしはつまづきます。すると、
 上半身は進み続けようとするし、足は急停止するしで、腕は伸びて、銀盆を前にうやうやしく差し出します。
 アイスティーのグラスは宙を回転し始め、中の液体と氷は遊泳し、いちごショートとお皿は安定を見せ、すこしふわり、フォークは銀盆の支配領域を越えて行ってしまう。
 ほんの一瞬のことがおそろしく長い時間のように感じました。
 銀盆を握ったままの手をドンとテーブルに叩きつけ、頭ががくんと
 ああ、とうとうこのときがやってきてしまった。これでわたしはひとりぼっちになってしまった。この先どうやって生きて行けば、いや、生きていてはいけないのではないか。でも、それではすべてが水泡に帰してしまう。どんなことがあっても、生きてむしろ生を楽しまなければならない。そういう約束なのだ。
 視界には自分の着ているメイド服がいっぱいに広がります。そして、
 大恐慌はやってきます。
 金属の音、ガラスの音、テーブルを拳が叩く音、床を足が踏みしめる音、音の大洪水です。洪水はさっと引きます。顔をあげますと、
 テーブルの上で、手は銀盆を必死で握りしめています。アイスティーのグラスはふたつとも横倒し、いちごショートはひとつは皿の上をすこし移動しただけ、もうひとつは横倒しになっています。そうして、アイスティーはテーブルの上で泡立ち、本当の大洪水を起こしています。氷だって、テーブルの上にも、床にも、すべり転がり、大量に散乱しています。テーブルの先に目をやると、
 テーブルの席についている女の子。
 フリルのたくさんついた服、くりくりにカールした髪、絵本の中のかわいい女の子そのもの。
 けれど、魂が、抜けています。
 かえってまたそこが、絵本のなかのかわいい女の子という印象を強くしているかもしれません。
 胸にアイスティーが直撃し泡立ち、飛び散って、顔と言わず、髪と言わず、スカートの上にはダムができるほど、アイスティーの泡まみれになって、人形のようにイスにすわっています。すこしも動きません。
 腕から取り落としてしまった布巾をひろいあげ、女の子の前で床に膝立ちして、顔を拭き、髪を拭き、服の上からトントンと叩いてゆきます。胸の真ん中には血がにじんで、服に小さな穴が開いています。その穴は、服の奥の体にも開いていて、女の子の命を奪い、魂を天上に帰した一発の弾丸によるものです。
 布巾でできるだけのことをしました。銀盆から倒れたグラス、いちごショートののった皿をテーブルに移します。氷をひろいあげ、銀盆にのせます。テーブルの上には多く残ってはいません。カーペット敷きの床に銀盆を置き、はいつくばって氷をひろってはのせてゆきます。ひろえる氷をすべてひろい、銀盆をテーブルの上にのせたときには、氷はあらかた溶け、もとの形をとどめていません。
 女の子に一度ハグをしてから、わたしはドアへ向かい、鍵を開け、開きます。なにがあったと不審がる顔に出会いました。

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