小説家って、客観性がたりないかもしれない

かれこれ、10作くらいの小説を書いてきました。
小説をほとんど読まないものですから、自分の書いたものが小説のテイをなしているのか、おもしろいのかつまらないのか、よくわかりません。
遅ればせながら小説の書き方みたいな本を読んでみました。
「ミステリーの書き方」ですね。
この本を買うときにいろいろ調べたわけです。
アマゾンのレビューを見比べたりもしました。
「この本を読んでも小説を書けません」みたいなことが書いてあったりするわけです。
で、目次を見るとアイデアの発想法から、発展のさせ方、いきづまったときに考えるとよいことまでいたれりつくせり、それこそ手取り足取り小説の書き方が解説されているようなのです。
こおの甘ったれ坊主、お尻ペンペンだぞ!
おっと、失礼。
なんというか、小説を書こうという人の中にはずいぶん甘ったれた考えの人がいるようですね。そんなコメントがレビューにあります。
たいていどの本でもあります。
この手の本を読んでも小説が書けないという人はもう書こうと思わない方がいいと思います。
わたしの場合はすでに小説を書けないという段階にはないわけですから、ああいったコメントを気にかける必要もないのですけれど。
真面目な人でこれから小説を書こうという人は、ああいうコメントを真に受けて本を選べないなんてことがあるかもしれませんね。困ったことです。

 

「ミステリーの書き方」の内容についてですけれども。
小説家のアンケートがいくつも載っています。
小説家志望の人にアドバイスというので、食えないから小説家になんてなろうと思わない方がよいと答えている人がかなりいます。
説得力がない。
ならないほうがよいようなものなら、いまからだって遅くない、小説家をやめたらいい。
あえて小説家をつづけているなら、なぜつづけているのか、その辺を明らかにすべきです。
考えがたりないのか、自分の言葉を冷静に考えられないのか。
書いた小説が本にもならないわたしのような人間が言ってもしょうのないことですけれど。
小説家と言ってもたいした人物ではないということでしょう。