【ネタバレ】考え続けて「原発サイバートラップ」

 すでに一田和樹「原発サイバートラップ」(集英社文庫)について、感想のようなものを書きました。たいてい、文章にして書きだしてしまうとその話題は頭から抜けて、考えなくなるものです。でも、布団の中で考えました。考えがまとまりましたので、延長戦です。

人間ドラマがない

 小説の書き方の本には、人間ドラマを書くんだと勧められます。わたくし九乃は、小説があまりすきではありませんけれど、いくつかは好きな小説があります。うん、人間ドラマが面白いのですね。大がかりなトリックはジャマになるからいらないくらい、事件とそれにからむ人間ドラマが面白いのです。
 ミステリーでは、謎が大切なのであり、それには意外な解決が必要であり、トリックは大掛かりになりがちです。ミステリーには人間ドラマがジャマになるみたいですね。
 「原発サイバートラップ」です。人間ドラマは薄い。それに、人間を見る視線が皮肉っぽい。前回の感想で書きましたけれど、群像劇なのですね。それも、テロに立ち向かう人々の熱いドラマなんかではなく、状況を傍観するしかない人々であったり、結局テロ側の人間であったり、盛り上がりという点では、むしろ冷水を浴びせつづけているようなものです。熱くなりません。テロ事件がどうなるか、目まぐるしく展開する事件だけが熱いのです。

作者は神

 人間ドラマがないというのは、もちろん作者の意図です。作者である一田和樹が小説の神ですから、すべてをコントロールしています。

つまらないの?

 人間ドラマがなくて、つまらない小説なのかというと、単純にそうはなりません。作者がコントロールしているのですから、小説をつまらなくするためにしているなんてことはありません。

 ストーリーが求めるように書いたということでしょう。曲が求めるギターソロを弾くみたいな、弾きまくればいいというものではない、みたな。
 すべては結末にあわせてコントロールされているのです。

ありがちなクライマックスに意外な結末

 クライマックスは、映画なんかでよくある話ですね。
 はじめに登場した上司が実は黒幕ってやつ。「誰も信じるなよ」というセリフを吐き、クライマックス前に「だから、誰も信じるなって言っただろ」といって主人公を殺そうとするアレです。
 よくあるネタを使っていますけれど、読んでいればアレじゃないかと疑いますけれど、結末は珍しいかと思います。
 いままで熱い人間ドラマが展開していて、あの結末となれば、肩透かしもいいところです。やってみたら面白かったりして。いえいえ、バランスが悪くてダメでしょう。
 結末に説得力を与えるには、テロと戦う人たちの熱い人間ドラマはジャマだった。だから、見ているだけでなにも手が出せない人やテロの協力者の群像劇に仕立て上げたのです。作者ではないから違うかもしれませんけれど、九乃はそのように考えました。
 登場人物を描写する視線も皮肉っぽく、人間ドラマにならないようにコントロールされているのも、同じ理由です。