そういう小説なのです

文字数16000文字で短編小説第3弾が書き終わりました。

今日は4000文字書きました。

短編小説のシリーズは、解決編のないミステリという趣向で2作書きましたけれど、3作目にして、解決編どころか事件まで小説の中で描かれなくなってしまいました。

読者にとっては、トリックもなにもない小説を読まされることになります。

そういう小説だと思ってお読みいただきたいというのが作者の願いです。

 

事件を解決できない刑事シリーズのつもりです。

第3弾はなんと、被疑者を逮捕します。

はじめての事件解決か?と思わせて幻に終わるというのが、タイトルにあらわれています。

 

さて、つぎはどうしましょう。まだ考えていません。

書けそうな短編小説があったかな。

あるいは12月にする予定の「ショタト・ワタシ」の推敲をはじめてしまうか。

今月はあと4日ですか。

推敲をはじめそうですかね。

 

(ブログ連載小説)幻のドーナツ #9 最終回

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9.幻は幻のままが、夢があっていいのです
 幻のドーナツの行列に大蔵は並んでいる。どうやら、今度こそ念願のドーナツを口にできそうだ。女子高校生でもドーナツひとつにそこまで胸躍らせないだろうというほど、大蔵の胸はワルツを踊り狂っている。
 会計を済ませ、紙袋を受けとる。振り返ると、相坊が歩道の反対側でつまらなそうにまっている。
「よし、行こう」
 いまは相坊の顔が、デートの相手の男子高校生に見えているのだ。
「食べながら行っていい?」
 つい、女子高生の気分で気持ち悪い言い方になってしまった。
 ギャギャギャー
 歩道をかすめるように黒塗りの車が大蔵のすぐ横で急停車した。助手席の窓が降りる。
「大蔵くん、早く乗って」
「え?なんですか?」
 米田さんが助手席から後ろに乗れと手で示している。
「早くしろ。被疑者の居場所がわかった」
「え?例の女性?」
 大蔵は腰をかがめて運転席のサクラさんの劇場用アニメ映画の気合の入った作画のように整った顔立ちを見つめた。
「殺すぞ、早くしろ」
「相坊、行くぞ」
 後部座席のドアを開けて乗り込み、奥にずれる。相坊が乗り込むと、ドアが閉まる前に急発進し、差し出した手をドアに突き刺しそうになった。その場合は指をくじいたことだろう。
 被疑者が以前勤めていたという会社が目の前というところで、歩道を歩いているのを発見。車は急停車。被疑者の女は警察と気づいて走り出す。もちろん、相坊と大蔵の出番だ。若くて元気な相坊が先に降り、追いかけ始めたのだから、先に追いつくのは当然の理であり、大蔵は相坊の背を追いかける。つもりだったのが、相坊の背中が迫ってくる。危うく激突するところで大蔵は身をかわした。運動神経はカラキシだけれど、反射神経には自信がある。相坊は顔面にハンドバッグを投げつけられてダウンしたらしいことが、すれ違いざまに見えた。
「警察だ。逮捕状が出ている。待ちなさい」
 大蔵の係は再捜査のため現場へ戻った。サクラさんが被害者の鏡台の三面鏡を広げたところ、リップで死ねと書かれていた。このリップの色が特殊であり、事件関係者の中で所有していた人物を特定できた。さらに目撃者のおばさんを取り調べたところ、そういえば男の前に女が走って逃げて行ったんだった、凶悪な犯罪だから男とばかり思っていたけれど、女も走っていたのだった、そうそうこんな感じの女性だという。その女性の写真というのが、いま追いかけている被疑者の女性の写った写真だった。
 今度こそと意気込んで逮捕状を請求し、裁判所からおりた逮捕状をもってとうとう確保かというところで、被疑者は勤めを辞め、姿をくらましていたのだった。誤認逮捕なんてして捜査が別の方向にそれてしまっているあいだに逃亡を許してしまったのだ。
 その被疑者がまだ受け取っていなかった給料を受け取りに会社にあらわれたと一報を受けたサクラさんが緊急出動してくれたというわけだったのだ。
 大蔵は女性を追いかけるのが得意ではない。あきらめてお縄についてもらいたいところだけれど、追いついてしまった。被疑者の左腕を捕まえた。被疑者の脚が止まる。
「はあー、逮捕状。見えますね。殺人の容疑で逮捕します」
 手錠を出して被疑者にはめ、自分の右腕にもはめる。時刻を読み上げた。やった。とうとうやった。
 ハンカチで汗を拭いながら車にもどる。自動販売機のそばに駐車してまっていた。冷たい缶コーヒーを米田さんが渡してくれる。
「あ、ごちそうさまです」
「いえいえ、いつもごちそうになっているからねえ、たまにはこのくらい」
 今度は相坊が後部座席の奥に、被疑者、大蔵と車に乗り込んだ。今度は米田さんが運転してくれるらしい。そのほうが安心だ。サクラさんの運転は性格を反映して鋭すぎるきらいがあるのだ。
 窓の外をながめる。今度こそやった。本物の犯人を捕まえた。係長になってはじめての犯人確保だ。これからはバンバン事件を解決して、ワッサワッサと被疑者を確保して、拘置所をいっぱいにしてやる。甘い匂いが車内に充満している。
 相坊と被疑者がドーナツを口にしている。
「ああっ、おれの幻のドーナツ!いや、まあ今日という日は素晴らしい日だからな。ドーナツのひとつやふたつで目くじらを立てるようなことはない」
 被疑者の膝の上の紙袋を取り上げる。おい。
「ちょっと待て。おれはドーナツをよっつ買ったんだぞ?」
「ごちそうさまでした」
 米田さんが顔をこちらにちらと向けた。サクラさんが体をひねって座席のあいだから頭を出している。相坊。被疑者。
「だー、なんで余裕をもって、五個や十個買わなかったんだー。おれのバカー」
 頭を抱えた右手が手錠でつながって邪魔くさい。
「あの、食べかけでも」
 被疑者が最後の一口を頬張ったところだった。
「ふぇ?はめふぇふぃふぁ?」
「いや、なんでもない」
 相坊はとっくに食い終わって涼しい顔をしている。幻のドーナツの恨み。

 署について、取調室に被疑者と大蔵が並んですわり、相坊が向かいのイスにすわっている。ドーナツはドーナツ。逮捕は逮捕。気を取り直して取り調べをしよう。
「相坊、手錠はずしてくれ」
「またですか?鍵ちゃんともってくださいよ。そんなだから今まで事件を解決できなかったんじゃないですか」
「関係ないだろ。でもまあ、これからは使うことが多くなるはずだからな、持ち歩くことにしよう」
 デスクに手をのせて、相坊に手錠を外させる。
「あれ?変だな」
 カチャカチャやっているのに鍵がいっこうに開かない。
「なにやってんだよ、不器用か。貸してみろ」
 鍵をひったくって大蔵が開けようとするけれど、開かない。
「どうなってるんだ。くそっ。あ」
「今度はなんですか」
「今度はってなんだよ。まだ二回目だろ」
「二回目はなんですか」
「これ私物だったわ」
「はあ?私物で手錠なんてもってるんですか?変態さんですね、大蔵さん」
 被疑者がイスをひいてすこし距離をとった。
「そうじゃない。手錠をかける素振りをだな、するときに本物に近いほうが雰囲気が出ると思って、けっこう高いんだぞ?これ」
「どのみちまともではなかった。なんですか手錠の素振りって、銭型警部でもやらないんじゃないですか」
「お前、銭型警部バカにしてんの?妻はおれが素振りしてると汗ふいてくれたり、応援してくれたりするんだぞ?終わってからマッサージしてくれたりするし」
「もう涙が止まりません。なんてできた奥さんなんだ。大蔵さんにはそのくらいできた人じゃないと勤まりませんね」
「おれをバカにしすぎてないか」
「正当な評価です。で、どうするんですか」
「かくなる上は、この手首切り落としてでも」
 被疑者の手をつかみ、映画卒業のように取調室をでると、給湯室に直行、包丁を取り出した。右手を流し台の上にダンとのせ、左手に包丁を振りかぶったところを相坊が取りつく。取調室に向かっていたサクラさんと米田さんが騒ぎを聞きつけてやってきて、大蔵を取り押さえた。
「相坊、装備課行って糸ノコ借りてこい。こんどはわたしが切ってやる」
「ひっ」
 相坊は全力で走り去る。サクラさんは異様に楽しそうな表情だ。

 予想通りというか、なんというか。二度目に確保した被疑者のアリバイは確認され、リップで書かれた脅迫は事件よりずっと以前に書かれたものだということがわかった。被害者は化粧っ気がなかったから、死ねと書かれていることに気づかないうちに殺されたのだろう。
 結局、事件は継続捜査となっている。
 最初に誤認逮捕された元被疑者の男性は、パソコン教室時代の同僚が起こしたベンチャー企業に技術部長として招かれ、給料が出るまでの生活は生活保護を受けられることになった。ベンチャー企業の社長がスーツ姿にビジネスバッグで付き添ってくれたら受付係の態度がちがったらしい。近々、元被疑者には大蔵の妻のマンガ描きの環境更新の相談にのってもらうことになっている。
 ついでに言うと、幻のドーナツは閉店してしまった。大蔵は食べられず仕舞いだった。相坊は、あそこのドーナツおいしかったのに残念ですねと感想を述べた。

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(ブログ連載小説)幻のドーナツ #8

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8.そんなことじゃないかと思ってたでしょ?
 朝食のあと、相坊が門のところまで車で迎えにきて、警察署へ出勤だ。車内では、パソコン教室の裏付けと、被疑者宅のカレンダーで予定をチェックし、アリバイの確認もするように指示した。
「おはようございます」
「よ、御両人」
 サクラさんまで妻の病気がうつったかと思うようなことを言う。
「サクラさん、今日は相坊と組んで外回りお願いします。指示は相坊に出しておきました」
「大蔵さんじゃないんですか」
「おれは取調室で留守番してる」
 右手をあげて手錠を示す。
「そういえば、装備課の人はまだ糸ノコもってきてくれてないか?」
「それじゃないですか」
 相坊が大蔵のデスクをアゴで示す。デスクの上にホームセンターの袋がのっている。中身を取り出すと、糸ノコだった。
「おお。それじゃ、相坊って」
 サクラさんに連行されていくところだった。せっかちなんだ、サクラさんは。
「米田さん、お願いできます?」
「まあ、お茶でも飲んだら?」
 ニッコリして、米田さんはお茶をすする。

 被疑者と並んで取調室でお茶をすする。向かい側に米田さんがいると、自分が取り調べを受けているような気分になってくる。
「そろそろやってみる?」
 ちょっと楽しそうに米田さんが身をのりだしてくる。手が糸ノコに伸びて、ハンドル部分をつかむ。顔の横にかかげる。怖い。
「え、えーと。米田さん糸ノコって使ったことあるんですか?」
「あるよ」
 それだけ?もっと、なにか付け加えることは?心配だ。
「日曜大工が趣味とか」
「中学のときかな、技術・家庭科っていう科目があってねえ。いまでもあるのかねえ。授業で糸ノコを使う実習があったんだよねえ。けっこう指切っちゃったりする不器用な人がいるんだよねえ」
「米田さんは大丈夫だったんですよね」
「ぼく?ぼくはどうだったかなあ」
 指を調べている。そんな最近のことじゃないですよね。
「指を切ったのはぼくじゃないと思うけど、もう昔のことだからねえ。よく覚えてないかなあ」
「使い方は?」
「大丈夫、普通のノコギリを一緒だよ」
 大蔵の手首の手錠をデスクに押さえつける。
「え、え、ちょ、待ってください、待ってください」
「どうかした?」
「いや、手錠の内側から外側に向かって切ってもらっていいですか」
「ちょっとメンドウだね。刃を外さないといけない」
「どうかお願いします」
 米田さんを拝み倒して糸ノコの刃を手錠に通してもらった。ふう。手錠の蝶番のすこし手前を切り離すことにして、やっと普段の慎重さというか、やる気のなさというか、そんなものを発揮してノンビリ糸ノコを引きはじめる。シューコシューコと糸ノコが上下に移動し、刃がこすった横にアルミの粉が積もる。シューコシューコ。催眠術にかかるような気分になって、眠くなってと思ったら、さきに米田さんの頭が倒れかかってきた。
「米田さん。お願いします。眠らないで、最後まで手錠を切ってください」
「ああ、そう。そうだったね。うん、まかせておけば大丈夫だ。こうね、糸ノコを引いていると、このリズムがだんだん心地よくなってきてねえ。なんだか意識が」
「米田さん」
「ん?遠くなってくるんだねえ」
 あと少しがなかなか切れなくてじれったい。ふっと息を吹きかけてアルミの粉を飛ばす。いよいよだ。最後はスパッと切れて、糸ノコのフレームが大蔵の腕に軽くぶつかった。
「おお!やった」
 手錠を手首から完全に離して、手首をこする。手錠で絞められていたあとがついている。
 あの、忘れてない?といわれて、我に返り、大蔵は米田さんからバトンタッチで糸ノコをあずかり、同じように手錠の内側から切り離しにかかる。
「こんな感じですか?」
「うん、あまり押しつけると刃がダメになるから、ちょっとこするくらいの加減で、何回も何回も引くんだねえ。あせったらダメだよ」
 アドバイスになるほどと納得して、シューコシューコ。気が遠くなりながらも手錠を切り離した。大蔵と被疑者はお互いに固い握手を交わした。
「いやー、ヒドイ目にあった」
「でも、疑いが晴れたわけじゃないよ」
「でも、調べてくれてるんだろ?大丈夫。疑いは晴れるよ」
 バン
 取調室のドアが開いて、コツコツ、サクラさんが相坊を引き連れてはいってくる。狭い取調室に五人もいて、圧迫感が尋常ではない。
「パソコン教室に行って、被疑者が被害者の講師をしていたことがわかった。被害者はたびたび自分のノートパソコンを持ち込んで熱心に質問していたらしいことも。ちょっとずうずうしいことで有名だったらしい。それから、カレンダーにはハローワークの受給説明会と書いてあった。ハローワークにまわって聞いたところ、事件当時は受給説明会の真っ最中。被疑者が出席していたことは、顔写真で確認したから間違いないそうだ。気が抜けるほどあっさりシロだとわかったぞ」
「がーん」
 大蔵は頭を抱え込んだ。やっと被疑者確保までたどり着いたと思ったのに、誤認逮捕だったのだ。
「申し訳ありません。誤認逮捕でした」
 大蔵は元被疑者に深々と頭をさげた。米田さん、サクラさんも大蔵にならって頭をさげている。相坊は出遅れて、あわてて頭をさげる。
「やだな、逮捕してないことにしたじゃないですか。いいんですよ、いろいろよくしてもらったし」
「では、自宅まで送ります」
「うん、よろしく、大蔵さん」

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マンガ家という設定がよくなかったのでしょうか

文字数12000文字で今日は6000文字書きました。

明日に書き終わりそうです。

いまの「幻のドーナツ」はミステリのネタがないので、短く終わります。

 

大蔵の奥さんが登場しました。

もっと魅力的に書く予定だったのですが、頭の中で想像していたような女性ではなかったようです。

(ブログ連載小説)幻のドーナツ #7

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7.ふたりベッドの中
 被疑者と並んでベッドにはいる。大蔵は天井を見つめる。
「はじめてなんだ」
「なにが!」
 被疑者がガバッと起き上がった。
「係長として事件を担当して被疑者を逮捕したの」
「なんだ。あー、ビックリした。って、ホントかよ。よく係長になれたな。係長って偉いんだろ」
「勉強して試験を受けたんだ。警察は試験を受けないと昇進できない。でも、勉強は得意だから。あと、上司の覚えがめでたくないといけない。ヒラの捜査員のときはそれなりに能力を示したつもりなんだ」
「へー。勉強はできるのに事件は解決できないんだな」
「ぼくに解決できないんだから誰にも解決できないって思うんだけど」
「難事件ばかり担当してたってことか」
「いいわけだけどね」
 難事件かどうかはわからないけれど、ヘンな事件ばかりではあったと、あれやこれやの事件を思い返す。
「きみが犯人で、ぼくを殺して逃げようと思うなら。ぼくはきみを恨んだりしないよ。とうとう自分で被疑者を逮捕したんだ。こんな最高の日に死ぬのも悪くないからね」
「さっき逮捕してないことにするっていっただろ」
「そうだった。やっぱり死んでも死にきれない」
「安心しろ、おれは犯人じゃない」
「そんなわけはない。目撃者だって、指紋だって出てるんだ、言い逃れできないぞ」
「よくわからないんだけど、その事件というのはいつどこで起きたどんな事件なんだ?」
 アルコールでぼんやりした頭から事件の話をひっぱりだして、ぼつぼつと話しはじめる。
「というわけで、被害者が殺される直前に使用していたノートパソコンにお前の指紋がついていたし、現場から逃げていくのを向かいの奥さんが見ていたんだ」
「それ、おれが近づいたこともない土地だぞ。目撃証言なんてアテにならないもので逮捕されたんじゃたまったものじゃない」
「じゃあ、アリバイでもあるっていうのか?それともノートパソコンに指紋がついていたことを説明できるのか?」
「まず、なんでおれの指紋が警察にわかるの?おれは前科者じゃないんだけど」
「前科はなくても、警察に指紋をとられたことがあるんじゃないのか?」
「あ、もしかして交通違反とかで指紋を取るの、あれ使ってんじゃないの?」
「それだな」
「まじ?それ違法なんじゃないの、交通違反で指紋押させるとか」
「まあ、ダマされちゃったのかもしれないな。本当は拒否できるんだけど、そんなこと教えてくれないもんな。強制じゃなくよろこんで協力してくれたってことになってるんだ」
「うげぇ、警察きったねえ」
「うん、そうかもしれない」
「で、ノートパソコンのどこに指紋がついてたんだよ」
「えーと、ディスプレイの左上かな」
「被害者って女性っていったっけ?」
「そうだけど」
「パソコン教室に通ってたんじゃないか?おれ一時期講師してたけど。たまに自分のパソコンもってきて見てくれっていう人いるんだ」
「なに、本当か?」
「あとはアリバイか。ほとんど家にいて出歩かないからな。でも、その日付はひっかかるな。なんだったかな。用事があったんじゃないかな。ダメだ、わからない。家に帰ってカレンダーみればわかるんだけど、警察で調べてくれよ」
「わかった。カレンダーな」
 ナイトテーブルのライトを消す。
「ふわぁあ、もういいから寝よう。明日こそ犯行を認めさせて見せる」

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(ブログ連載小説)幻のドーナツ #6

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6.奥さん本当にいたんですね
「いやー、大蔵さんのお宅にお邪魔するのははじめてです。奥さんにもとうとうお会いできるんですね」
「いや、相坊はここで帰ってくれ。駐車スペースがないんだ。この道は駐車禁止だし」
「そんなー」
 大蔵はメンドウになると思って、お前を妻に会わせたくはないとは言わなかった。
「はいってくれ、ただいまー」
 発砲音、大蔵は身をかがめる。
「おめでとう!はじめての犯人逮捕!いえーい」
 大蔵の妻が廊下の一番手前の部屋から飛び出してきて大蔵の首に抱きついた。勢いで玄関ドアに背中から激突し、妻はおでこをしたたかに打った。クラッカーの中身がごちゃごちゃと腕の当たりにたれさがっている。
「いったーい。そんなことより、いまのお気持ちは?」
 こぶしを大蔵の口元に押しつけてくる。
「複雑な心境なんだよ」
「あらま」
 妻が離れ、玄関の板の間に着地した。
「で、この方は部下?」
「いや、それが」
 右手を差し上げる。手錠がジャラジャラ。被疑者の左手がくっついてくる。
「なにこれ、なんていうプレイ?」
「これはプレイじゃないんだ」
「じゃ、そんなことはいいや。とりあえず一枚」
 大蔵と被疑者はケータイで撮影される。
「今度は手をつないで」
「わるいな、ちょっとつきあってくれ」
「はあ」
 ふたりは手をつなぐ。
「いいね。今度は顔だけ向けてお互いに見つめあって」
「こ、こう?」
「ああ、んはー。こりゃたまらんわ」
 じゃあ、今度はといって、ポーズをつけられ、向き合った状態でつないだ手を体の前にもってきて見つめあう。
「ああ、もうやっちゃってよ。ぶちゅっとやっちゃって」
「ありがとう。もうこれで十分だから」
 大蔵はケータイをパシャパシャいわせている妻の腰を引き寄せて、軽く口づける。
「ただいま」
「あら、わたしったらまだこんな玄関で。失礼しました。さ、どうぞあがってください」
 やっとスリッパがでてきた。そのまま出てきたドアをはいって姿を消してしまった。
「すまない。驚いただろ。さっきのがおれの妻なんだ」
「ま、まあ。本当にキスさせられるんじゃないかとあせったよ」
「病気なんだな」
「はあ」
「まあ、あがってくれ」
 ふたりで大蔵の妻がはいっていったドアを通る。リビングダイニングだ。奥はカウンターキッチンになっている。リビングのソファに並んですわる。
「奥さんは仕事なにしてるんだ?」
「マンガ家。それもちょっとあれな」
「あれ」
「そう、さっきみたいなあれ」
「ああ。女性向けの」
「そうだな。男が見て悪いことはないが、少ないだろうな」
「なんというか、かわいらしい奥さんだね」
「おれには彼女しかいないってくらい最高の妻だと思っているけどね」
「すごいもんだ、そこまでとは」
「マンガ家ってのは、普段ひとりでずっと描いてるもんだろ。おれが家をあけるといっても、そのほうが都合がいいっていうくらいなんだ」
「ああ、刑事の仕事は不規則なんだね」
「そう、で、ちょっと手が空いてかまってほしいときだけ近づいてくるわけ。猫みたいなものかな」
「はあ」
「それに、おれのよき理解者であり、応援団長なんだな」
 またケータイのパシャッという音が聞こえた。
「はい、準備オッケー。こっちきて」
 テーブルにはオードブルと、シャンパンが冷やしてあって、準備オッケーだった。
「すごいね」
「だって、お祝いでしょ?」
「いや、それが。まあいいや。ゆっくり話そう。アルコールは大丈夫?それじゃ、乾杯だ」
「チンチーン」
「それはやめてくれ」
「なんで?いいじゃない」
「はいはい。レマン湖とか大好きなんだよな」
「フランス語なんだからいいじゃない」
「とにかく飲もう」
 シャンパンは冷やされていてスッキリシュワシュワ、爽やかな甘みが、取調室の壁が倒れ、周囲はアルプスの高原の花畑だったときのようだ。われながらなにを言っているかわからない。
 やっと落ち着いたから、大蔵は妻に今日あったことを話した。
「お風呂は?沸いてるけど」
「今日はいいよ、こんなだし」
 右手を上げて手錠につながれている状態を見せる。
「いいじゃない、男同士なんだし。じゅるり」
 出てもいないよだれを手の甲で拭っている。手がつながっているんだからシャツが脱げないと言って、どうにか妻の欲望をとどめることができた。
「わるいけど、今日はリビングのソファで寝てくれる?」
「いいのいいの、仕事場で仕事するから。今日ははかどるわ」
 なんだかとってもいい気がしないけれど、スルーしてシャンパンのボトルが終わったのを機に寝ることにした。

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(ブログ連載小説)幻のドーナツ #5

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5.やっぱりかつ丼、これが夢だった
「さて、このままじゃ取り調べもできないし、取りあえずかつ丼食うか」
「いりませんよ。どうせ自腹なんでしょ」
 被疑者はつれない。
「いや、おれがおごる。な、かつ丼食べよう」
 大蔵にとってかつ丼は夢だったのだ。簡単に譲るわけにいかない。
「はあ、じゃあいただきます」
「よし。相坊、かつ丼ふたつ注文してくれ。あ、お前も食べる?」
「じゃあ、カレーうどんいいっすか」
「いいよ。でもシャツに汁が飛ぶぞ」
「前掛けします」
「お前そんなの用意してんの?」
カレーうどん好きなんで」
「日本人かインド人かハッキリしろよな。いや、なんでもない。じゃあ注文頼む」
 かつ丼がきて、大蔵がお金をはらった。
 手錠が大蔵と容疑者の腕をつないでいるから食べづらい。大蔵は右手で容疑者の左手に手錠をかけた。容疑者は右手が自由だ。口と手を使って割り箸をわって食べ始めた。大蔵は容疑者のとなりにすわっているけど、右手が手錠で容疑者につながっているから、動かしづらい。警部の手の動きで左手がひっぱられるにまかせてくれているけれど、じゃまだし、重い。こんなはずじゃなかったのに。
 相坊のカレーうどんの匂いが取調室に充満している。もう食べ終わって、満足顔で額の汗をハンカチで拭っている。
「相坊、給湯室行ってスプーン取ってきてくれ」
「ああ、はいはい。世話が焼けますね」
 いつもはおれがお前の世話を焼いてんだよと、大蔵は内心毒づいた。
 スプーンがきて、自由な左手でかつ丼を食べた。涙が出るほどうまかった。食後のお茶をすする。
「あっ、忘れてた。ドーナッツ。相坊、デスクから虎の子のドーナツ取ってきてくれ、食後のデザートにしよう」
「いいですね」
 取調室を出た相坊はすぐにもどってきた。
「大蔵さん、これ。やられましたよ」
 幻のドーナツの紙袋はぺちゃんこにつぶされ、上に一枚のメモ用紙がのっている。
『おいしくいただきました 刑事課一同』
「ううっ、ぐっ、ぐぅ」
 大蔵は言葉にならない原始的なうめき声を発し、絶望した。はるか昔、人類がアフリカのサバンナへ進出しなければならない状況に追い込まれたときも、かくありやという絶望だった。
「大蔵さん、泣かないでください」
「うっ、うう」
「え?おれのせい?」
 大蔵はうらめしそうに被疑者の男を睨んでいる。
「やつあたりはやめてください。大蔵さんが食べられないタイミングでしか買うことができないドーナツなんですよ。だから幻のドーナツなんです。運命だと思ってあきらめてください」
 がっくりうなだれてしまう。
「もういい、今日は帰る」
「被疑者はどうするんですか」
「なにが」
「被疑者の身柄ですよ」
「今日は留置場だよ。あたりまえだろ、逮捕したんだから」
「大蔵さんも一緒に?」
「なぜおれまで被疑者扱いする」
「でも、手錠はずれなければ一緒に留置場に泊まらないと」
 右手をあげ、手首にはめられた手錠をしげしげと見下ろす。
「うーん、うちくる?」
「えー。まずいんじゃないですか」
「じゃあ、まだ逮捕してないってことにするのは?事故で偶然手錠がはまっちゃって、しかたなしにってことでどうかな。明日になれば手錠切ってもらえるんだし」
「はあ」
 容疑者の顔をうかがう。
「逮捕してないってことになるなら、まあいいけど」
「決まりだ。じゃあ、送ってくれ」
「世話の焼ける」
 相坊に車で家まで送ってもらう。

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