「沈黙」があるじゃないか。でも、また書いてもいいんじゃないですか。

「Yの悲劇」が読み終わったのでした。

あまりに探偵役のレーンの苦悩を強調するので、犯人が誰かは見当がついてしまいますね。

やりすぎは要注意です。

島田荘司「龍臥亭事件」で「Yの悲劇」と似たような仕掛けを使っていましたね。

ずいぶん前に読んだので詳しいことは忘れてしまいました。

島田荘司作品の中でも傑作にはいると思います。

石岡君自身が事件に巻き込まれるから読む方も熱が入るというものです。

そろそろ同じ仕掛けを使ってもよいころでしょうか。

世代交代で「龍臥亭事件」を読んでいない人が増えているかもしれません。

心にとめておきましょう。

 

小説の方はアイデアがたまっていまして、最近もひとつ思いつきました。

起きようか、もう少し寝ていようかと葛藤しているときだと思います。

もしかしたらまだ眠っていたかもしれません。

カクレキリシタンの話です。

すでにこねくりまわしてしまったので、最初のアイデアがどんなものだったかわすれてしまいました。

最初のアイデアって、短い一文で表現できるようなものです。

遠藤周作「沈黙」がありますね。

「サイレンス」という映画にもなりました。

観ていませんけれど。

小説は読んだことがあります。

はい、ほとんど内容を覚えていません。

逆さづりにされて耳に切り込みをいれられて血がポタポタという拷問がつらいんだというようなことだけ覚えています。

舞台は長崎です。

たしか行ったことがあります。

あの、力士みたいな白い巨大な像があるところですよね。

坂本龍馬が会社をやっていたところでもありましたっけ。

坂を登って行って、外国人の家がありました。

たぶん、このアイデア小説にすると思います。

来年くらいでしょうか。

今年は小説を書いている余裕がないかもしれません。

 

この役立たずっ!すみません。

息抜きの読書で、エラリークイーンを読んでいます。

「Yの悲劇」

ちんたらしてますね。

もっとサクサクっと話を進めてもらいたいと思ってしまいます。

1932年作と古い小説だから、こんなものなのでしょうか。

 

最近は新しい小説を仕入れています。

批評する人で、現代性って言葉を使う人がいますけれど、現代性ってなんのことでしょう。

時事的なもの?

個人的な話なのに普遍性があるとか。

普遍的なことが好きなら小説じゃなくてほかの本を読んだ方がよいのでは、なんて思ってしまいます。

小説をなにかの役に立てようと思って読む人がいるのかもしれませんね。

ケチくさいですね。

小説はストーリーを楽しんだらいいんじゃないでしょうか。

ほかの役に立つことが必要なら、そういう本を読んだらいいでしょう。

マンガ日本の歴史みたいに、小説になってるとわかりやすいみたいなことでしょうか。

わたしは役に立たない、楽しく暇がつぶせる小説を書くつもりです。

 

クエスチョンマークは使っちゃダメ?

クエスチョンマーク、「?」。

これを小説で使うのはいけないという人もいるらしいのです。

「ミステリーの書き方」で読んだのだったと思います。

外国語の記号で、日本語で使うべきでないということだったかな。

わたしは句読点の休符みたいなもので、発音記号として使っています。

つまり、ここでは語尾をあげて発音しますよという指定のためです。

句読点というのはいつ頃から使われ出したのでしょうね。

明治からかな。

江戸時代は使っていませんよね。

コンマとピリオドに対応するものとして発明されたのでしょう。

なのにクエスチョンマークを取り入れるのはいけないといわれても、説得力ないと思うのですけれど。

たしかに大きさがあるから目立つという点で句読点とは異なるところがあります。

わたしの書く文章は格調が低いものですから、発音記号として使っても違和感がないように思っているのでした。

三点リーダ「…」というのもありますね。

小説でよく使われるようです。沈黙って感じでしょうか。

わたしは三点リーダを使いません。

理由は特にありません。なんとなく気持ち悪いなと思うだけです。

 

サボってはいない

別プロジェクトに取り組んでいて、小説を書くのは休止中です。

でも、頭が小説のことを考えてしまうのです。

勝手なことしやがって。

つぎにたぶん書くであろう小説でピアニストが登場します。

レパートリーを最近変えて、現代音楽を取り上げています。

現代音楽

どころか、ピアノのことはなにも知りません。

ウソです。すこし知ってます。のだめカンタービレのコミックを読みました。

企画もののCDまで買いました。

マンガではラベルとかドビュッシーは出てきます。

まだまだですね。

プロコフィエフです。

ブーレーズです、シュトックハウゼンです。

表記があっているか怪しいくらいです。

書けないものは書けないので、演奏シーンは小説に出てこないでしょう。

でも、しかし、そうはいっても、すこしくらい聴きかじらないでは済みません。

というわけで、どんな曲があるかなーとか、評判のいい録音はあるかなーとか、調べてしまい、時間がどんどん目の前を過ぎ去っていきました。

F1並です。

F1を生で見たことはありませんけれど。

いいですよね、Tスクエア。

 

ミステリとして売るのは間違い

乾くるみイニシエーション・ラブ」を読みました。

恋愛ものでミステリということで参考になるかと思ったのです。

これ、ミステリではありませんね。

ただの恋愛ものです。

文庫の裏表紙にミステリと紹介されています。

この女、絶対うらでなにかたくらんでいるな。

いまごろはきっとすごい犯罪が進行しているはずだ。

そう思いながら読み進めました。

結論としては、期待していたものとちがって、事件なんか起こっていません。

このくらいの仕掛けでミステリと紹介するのはハードルを上げすぎて読者の失望を買うと思うのですけれど。

それでも売れたみたいですね。

買って読んでからでないと良し悪しは判断できませんから、売れたからと言って面白いというわけではないのですけれど。

作者としてはどうなのでしょうね。

これで売れるの?こういうの書かないといけないの?みたいな、素直によろこべない状況ではないでしょうか。

すくなくとも、わたしが書こうとしている小説の参考にはなりません。

「Jの神話」も読みましたけれど、乾くるみはもういいかなという感想です。

 

書店はスーパーではない

誰が「本」を殺すのかを読んでいます。

書店での本を売る工夫みたいな話題もあります。

本をグルーピングなんかして、ついで買いをしてほしいという売り方です。

スーパーなんかのマーケティングの手法ですね。
そんなやり方で本が売れるのでしょうか。
わたしはだいぶ違う人間みたいです。

ついで買いなんてことは一切しません。
本を読んでいて話題に出てきた本は、読もうかと思うことが多い気がします。
読もうかと思ったら、ほしい本リストに加えます。
本を読む人なら、このリストはたいてい膨大な長さになっていることでしょう。
目的の本のとなりに置いてあるからと言って別の本に興味を示すことはほぼありません。
書店員にPOPやなんかでおすすめされても惹かれません。
もし興味をもったとして、やっぱり一度ネットで評判を調べてから、欲しい本リストに加えます。
その場で購入を決定するすることってないんじゃないですか。
それで、本の著者のおすすめという考えが出てきます。
ジュンク堂だったか、作家が期間限定の店長みたいなコーナーを作って、おすすめの本を集めるなんてことをやっていたりします。

ネットでも森博嗣の本屋みたいのがあって、おすすめの本をリストしています。コメントがないからイマイチな気もするけれど。
本を読む人間にアピールするなら、こっちのやり方ですよね。

スーパーのやり方ではない。

 

イスにすわっている体力があればよい

今日は豚の角煮を作りました。

昼食のあと取りかかり、2時間くらいかかったでしょうか。

食べるのは夕食です。まだ味見もしていません。

怖ろしいことに気づいてしまいました。

味見を一切していなかったのですね。

もういいです。

ゆで卵も鍋に同居していて、味がしみている予定です。

今日は疲れました。

角煮を作るのが体力の限界のようです。

病気というわけではありません。

ただ一日中イスにすわって本を見るかパソコンをポチポチしているかという生活ですから、自然と体力の限界がそこまで落ちているというだけです。

運動は体に悪いと思っていますので、体力がなくてもいいのです。体力をつけようなんて思いません。