目次 (ブログ連載小説)いちごショート、倒れる

12話完結済です。よろしくお願いします。

 

1.事件が発生して唐突に物語ははじまるもののようです

2.主役は遅れて登場することも決まっているようです

3.これはかわりすぎた事件ですと言われた

4.警察ってタイヘンみたいですね

5.現場百遍?そんなにやってこられても困ってしまいます

6.氷にはこだわります

7.シュワシュワ炭酸はじけて爽快

8.その箱はスリーディー・プリンタ

9.現場にばかり入り浸っているわけでもありません

10.いちごの食べ方って、一生かわらないものです

11.どこから弾が飛んでくるのでしょう

12.記録更新、すごいものです

 

短編小説第2弾

アイスクリームは溶けない

もあります。リンクから目次へ行けます。

(ブログ連載小説) いちごショート、倒れる #1

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 1.事件が発生して唐突に物語ははじまるもののようです

  テーブルまであと一歩というところで、わたしはつまづきます。すると、
 上半身は進み続けようとするし、足は急停止するしで、腕は伸びて、銀盆を前にうやうやしく差し出します。
 アイスティーのグラスは宙を回転し始め、中の液体と氷は遊泳し、いちごショートとお皿は安定を見せ、すこしふわり、フォークは銀盆の支配領域を越えて行ってしまう。
 ほんの一瞬のことがおそろしく長い時間のように感じました。
 銀盆を握ったままの手をドンとテーブルに叩きつけ、頭ががくんと
 ああ、とうとうこのときがやってきてしまった。これでわたしはひとりぼっちになってしまった。この先どうやって生きて行けば、いや、生きていてはいけないのではないか。でも、それではすべてが水泡に帰してしまう。どんなことがあっても、生きてむしろ生を楽しまなければならない。そういう約束なのだ。
 視界には自分の着ているメイド服がいっぱいに広がります。そして、
 大恐慌はやってきます。
 金属の音、ガラスの音、テーブルを拳が叩く音、床を足が踏みしめる音、音の大洪水です。洪水はさっと引きます。顔をあげますと、
 テーブルの上で、手は銀盆を必死で握りしめています。アイスティーのグラスはふたつとも横倒し、いちごショートはひとつは皿の上をすこし移動しただけ、もうひとつは横倒しになっています。そうして、アイスティーはテーブルの上で泡立ち、本当の大洪水を起こしています。氷だって、テーブルの上にも、床にも、すべり転がり、大量に散乱しています。テーブルの先に目をやると、
 テーブルの席についている女の子。
 フリルのたくさんついた服、くりくりにカールした髪、絵本の中のかわいい女の子そのもの。
 けれど、魂が、抜けています。
 かえってまたそこが、絵本のなかのかわいい女の子という印象を強くしているかもしれません。
 胸にアイスティーが直撃し泡立ち、飛び散って、顔と言わず、髪と言わず、スカートの上にはダムができるほど、アイスティーの泡まみれになって、人形のようにイスにすわっています。すこしも動きません。
 腕から取り落としてしまった布巾をひろいあげ、女の子の前で床に膝立ちして、顔を拭き、髪を拭き、服の上からトントンと叩いてゆきます。胸の真ん中には血がにじんで、服に小さな穴が開いています。その穴は、服の奥の体にも開いていて、女の子の命を奪い、魂を天上に帰した一発の弾丸によるものです。
 布巾でできるだけのことをしました。銀盆から倒れたグラス、いちごショートののった皿をテーブルに移します。氷をひろいあげ、銀盆にのせます。テーブルの上には多く残ってはいません。カーペット敷きの床に銀盆を置き、はいつくばって氷をひろってはのせてゆきます。ひろえる氷をすべてひろい、銀盆をテーブルの上にのせたときには、氷はあらかた溶け、もとの形をとどめていません。
 女の子に一度ハグをしてから、わたしはドアへ向かい、鍵を開け、開きます。なにがあったと不審がる顔に出会いました。

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はじめての試み、ブログで短編小説を連載します。

あたらしい小説を書きはじめました。

「いちごショート、倒れる」というタイトルです。

もっといいタイトルが思いついたら変更します。

今日は6000文字書きました。

毎日6000文字書きたい。予定です。希望です。決定事項です。既定路線ですか?

ひとつの短編を20000文字くらいで書ければいいかと思っています。

ということは、4日でひとつの短編、今月は3個の短編が公開できるという寸法です。

 

この小説はブログで連載するつもりです。

推敲しない段階で公開します。

キリのいいところまで書いたら公開、ということにします。

いままでは、書いたら賞に応募することにしていましたから、ブログで連載するのははじめての試みです。

きょうはさっそく #1 を公開します。

短いですけれど。1200文字くらい。

読んでもらえるとうれしいな。

 

「お金持ちのための小説」というアイデア

応募する賞を決めました。

締切がずっと先の賞にしてしまいました。

しかも、ネットで応募できません。

賞は応募された小説を選びますけれど、こちらも賞を選びます。

よい小説を集めたいと思うなら、数だって必要でしょう。

数を応募してほしかったら、応募しやすい体制を整えるべきだと思うのですけれど、とてもそうはなっていません。

下火になっていくジャンルなのでしょう。

 

送るべきものはファイルとしては用意できました。

あとは、紙に印刷です。

メンドクサイので土日のうちに済ませばよいことにします。

月曜日に郵送の手続きをします。

プリンタのインクがもてばですけれど。

インクの量がすくないと警告がでているのです。

そして、今回は160枚もの量があります。

クリップでとめたり封筒に入れたりできるのか、わかりません。

 

おとといくらいでしたか、「すべてがFになる」は堅牢な構築物だと書いたのですけれど、京極夏彦姑獲鳥の夏」もやっぱり堅牢です。

核となるアイデアからほとんどのことが決まってしまいます。

そういう小説を書ければ、本にしてもらえるのかもしれません。

「お金持ちのための小説」なんていっているようではダメなのでしょう。

「お金持ちのための小説」、じつはちょっとアイデアが浮かびました。

タイトルとは方向性がちがうかもしれませんけれど。

いつか書きはじめたら、またブログに書きます。

 

力作小説を賞に応募する

推敲が終わり、「副署長は治療お断り」が完成しました。

推敲に長くかかりました。

17万5000文字の大作です。

あらすじを考えています。

出だしはこんな感じです。

警察署の副署長、愛音

アンドロイド研究者、美結

幼馴染コンビが三重密室首なし死体事件に挑む。
論理的思考と科学知識で推理を繰り広げる。
首なし死体が起き上がり歩き出す。
第二第三の事件が発生。
愛音は拉致され、全裸で拘束されてしまう。
このまま殺されてしまうのか。
超ややこしい結末が待っている。

おもしろそうですかね。

応募する賞を探します。

文字数が多すぎるので、ネットで応募できるところがいいのですけれど。

印刷するの大変です。

 

つぎは短編を書いて、このブログで連載しようと考えています。

横書きの小説は読みづらいでしょうか。

書くときは横書きで書いています。

 

もう一度だけ

19回目の推敲が終わりました。

つぎで最後です。

やっとです。

長かった。

まだですけれど。

17万3000文字もあって、力作といっていいと思います。

長い小説はむしろ敬遠されそうですけれど。

 

森博嗣「すべてがFになる」の核の部分をすこし変形して小説を書けないかと考えています。

これが、むづかしいのです。

「すべて」はその核の部分からすべてがカチッと決まったようにできています。

Fのネタもですね。

堅牢な構築物といっていいと思います。

主人公のまわりのキャラが自由になるくらいです。

「すべて」については、「羊たちの沈黙」を取り入れていると作者が書いていました。

なるほどですね。

核の部分を変形するといっても、どう変形したのものか。

いつか思いついたらいいなということで、しばらくは忘れます。

そのうち「羊たちの沈黙」の小説を読んでみます。

 

文学理論研究者の文章

18回目の推敲が終わりましたっ。

あともう少し、あともう少しで、推敲作業も終わりです。

ここまできたら、あとは文章を練るだけです。

たぶん。

 

わたくし、ナントカ理論とか、ナントカ学とかいうものが好きなのです。

それで、いま文学理論というのを、本を読んで勉強しています。

その本は、研究者が文学理論の流派について、代表的人物と代表的著作を紹介するという内容なのですけれど、ヒドイのです。

他人の文章を批評する人たち、十数人の共著なので、の文章なのに、ヒドイ。

全員ではないのですけれど。

学術的な本なのに、比喩が使われていたり、ナントカではないだろうか、みたいな疑問文だったり、一文の前半と後半で論理の飛躍があってつながりがわからなかったり。

ナントカではないだろうか、というのはヒドイですよね。

研究者なんだから、わかったことを書いてほしいものです。

学生のころ矯正されるはずの、やってはいけないことが残っているのです。

文系の人は訓練されないのでしょうか。

たまたま出来のわるい人が書いているのかもしれません。

 

文学理論の批評手法を初学者に解説するというのが、この本の目的のはずなのですけれど、解説しながら批判がまざってくるのもおかしい。

初学者なのだから、読者はその批評手法について知りたいのです。

なのに、おかしな文章を書く人による批判を読まされても、批評手法を十分に学べないし、批判をどう受け取っていいのかわかりません。

そういう著者は、なにを求められているかも執筆中に見失ってしまったのでしょう。

 

文学理論、本を読んでみると、どうも小説からかなりかけ離れたテーマの話ばかりのようです。

そんなのどうでもいいから、小説をどう読むんだとツッコミをいれたくなります。

気を取り直して、もう1,2冊文学理論っぽい本を読んでみようかとは思っています。